2017年04月01日

心を奪われるのは、ストーリーだろうか2

結局、我々が心奪われるのはストーリーではなく、
おそらく登場人物やテーマやモチーフの一部だ。
つまり我々脚本家が一番苦労する部分は、
誰もほめてくれない、と考えるといい。

なぜだろうと考えてみる。
ストーリーは理屈であり、
登場人物などは感情だからだと考えられる。


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posted by おおおかとしひこ at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

会話の書き方

ちょっと根本的な話をしてみよう。
あなたは会話をどうやって書いているか?

なんとなくの方法論はできているだろう。
あるいは無意識に、なんとなくやっていて、
出来る場合もあれば苦手な場合もあるだろう。
会話は難しい。
しかし脚本の分量のほとんどを占める。
会話が書けないやつは脚本が書けないことに等しい。

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posted by おおおかとしひこ at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心を奪うのは、ストーリーだろうか

私たちは、その物語を、最終的にどう記憶するのだろうか。

僕は、一次元的なストーリーは記憶できず
(短い一文に圧縮したログライン的なものや、
おおまかなあらすじとしての圧縮されたプロットならば、
人によっては可能だが、それは慣れていないとできない)、
写真とか点でしか記憶できないという仮説を立てている。

でも「ストーリーのあの感じ」みたいな記憶はあるような気がする。
それはどういう記憶だろうか。
僕は、それが「人物の記憶」ではないかと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする