2017年08月14日

最後まで書けないのは、作り方も発想も間違えている

さらに続き。

1. テーマをつくり、構成をつくり、細かいところを作っていく。
(トップダウン)
2. ディテールをつくり、それを転がしていくうちに落ちまで書ける。
(ボトムアップ)

僕はどちらも間違いであると考えている。

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posted by おおおかとしひこ at 21:47| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【カタナ式】要するに、俺は英語の打鍵に興味がないのだ

なんでqwerty覚えなきゃいけないんだっけ。
ああ、英語を打つためか。
え? おれ、英語をなんで打つの?
英作文はしないし、外人の友達はいないし。
プログラミングは学生の時にやめた。

あとは、パスワードとアドレスぐらいじゃね?
じゃあ、もうqwertyいらないよおれ。
フリックの英語モードぐらいでいいよ。

……ということに、今はたと気づきました。

え? みんななんでqwerty配列使ってるの?
これ使わないじゃん。なのに現状置いとくの?ばかなの?

たとえばカタナ式と英語フリックでもあればいいんじゃないの?
posted by おおおかとしひこ at 16:41| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【カタナ式】その配列で打ちやすい言葉、打ちにくい言葉

そういうのを出していくと、
自分の文体と合うかどうかを検討して、
その配列を学習するモチベーションになるのではないかなあ。

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posted by おおおかとしひこ at 16:08| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私たちは、狂気に理性で決着をつけなければならない

前記事の続き。

だから、多くの物語(もどきも含む)は狂ったまま終わる。
うまく決着をつけられなくてだ。
平井和正はそうした作家ではなかったかと、僕はかつて蹴りをつけた。
あの尋常ならざる妄想を、彼はついに理性で纏めきれなかった。
それは単なる狂気であり、人の知性ではない。

文明は、理性で構築される。
人は狂気を原動力とする動物的存在であるが、
狂気のまま終わるのは、動物でしかない。

庵野秀明は、狂気に終わった作家だと僕は踏んでいる。
エヴァは終わらないだろう。
シンゴジラも、夢想爆発は愉しかったが、
「それ、なんの意味があったのや」というところにおいては、
プロジェクトXのほうが勇猛なドラマであったというものだ。

狂気に触れて喜ぶのは、ただの動物だ。
私たちは文明を築くために、
その先を纏めなければならない。
たとえばアウトサイダーアートは、
私たちそのものであり、
同時に私たちと対極である。

夢は狂気に似ている。自閉症も統合失調も躁鬱も解離も、
心という意味では夢だ。
狂気を理性で着地することが、私たちのすることだ。
恐らく全ての芸術は、この両極を行き来するのだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢は脈絡がない

脈絡をつけた夢。
意味の通った夢。
それが物語である。

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posted by おおおかとしひこ at 12:00| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする