脚本論そのものとは違うけど。
「争いを避けるプロデューサー」にその原因があるのでは。
「納品する責任」だけがあり、
面白いものを作る責任がプロデューサーにないと、
プロデューサーは、
喧嘩しようとする俺と、メアリースー当人を会わせずに、
降板を決定することになる。
長期的に見れば、ここで大げんかして、
メアリースーに気づかせてあげたほうが、
今後のいい関係になるのだが、
目の前の俺の喧嘩腰を折るだけで済ませる、
その感じが、
名作を生むチャンスを阻害している。
争いは何も生まないのは、戦争だけだ。
(実際、戦争は特需や植民地や技術開発を生むが)
人は争うことで切磋琢磨するのに。
俺は喧嘩するために上京してきた。
やんわりと断られるために来たのではない。
つまらん。
2017年12月26日
時々バカになろう
しちめんどくさい理屈は、
時々捨てよう。
それは詰まらないものを、
下手な理論武装することにしか役に立たず、
貝になることにしか使えない。
バカが見ても面白いものをつくろう。
理屈は散々こねてもいい。
問題は、出来上がったものが、
理屈抜きに面白いかだ。
時々捨てよう。
それは詰まらないものを、
下手な理論武装することにしか役に立たず、
貝になることにしか使えない。
バカが見ても面白いものをつくろう。
理屈は散々こねてもいい。
問題は、出来上がったものが、
理屈抜きに面白いかだ。