色んなキースイッチマニアと化してしまった。
万年筆のペン先の粘りのマニアと同じ領域だ。
色々使ってみて、自分の好みがわかってきたので整理してみる。
続きを読む
2021年05月26日
三角形の忖度
朝日が社説として五輪中止を言った。
https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S14916744.html
「中止を首相に求める」と冒頭に言いながら、
結論は首相、都知事、五輪委員会と、
三者に中止を求めることになっている。
ここに構造上の問題があると考える。
太平洋戦争を中止できなかったのは、
政府、陸軍、海軍のように「主体」が複数あり、
それぞれがそれぞれの空気を読んだ結果、
「継続」という空気(継続という「結論」ではない)に、
なったのではないか?と想像する。
僕は同時代の空気感がわからないので、作家としての人間観察でものを言っている。
三者、というのがポイントだ。
二者であれば直接ディベートや交渉は可能だが、
三者の場合、一者がその場にいないと「あの人はどう言うだろう」
と忖度が働き、そこから先に進まなくなるのでは?と思う。
(これは仕事でも良くあることで、その場で決めきれず、
「複数パターン持ち帰ります」がいかに多いか)
三者会談でも実は同じで、
「Aはこのように考えてると思ってるとBは思ってるだろう」
が働き、それが巴になり、議論が進まなくなるのではないか?
(仕事でもここで二時間議論することがよくある。
「私の意見はこうですが、お二方がそうおっしゃるなら」
「いやいや、もう少し議論を深めましょう」と決まらないことはよくある)
むしろこれを避けるために、ディベートは二者間でやるのでは?
と今理解できた。
三位一体説、天下三分の計、三権分立、巴戦、三角関係など、
三者の主体は、決定を遅らせて現状維持でズルズル行くためにあるのでは?
少女漫画の三角関係が長期連載になる理由と同じではない?
太平洋戦争が止められなかった理由と、
五輪が中止できない理由と、
三国志やキャンディキャンディやNANAが長期化する理由は、
三角関係という同じ理由なのではないか?
せっかく朝日新聞は「首相に」とターゲットを絞ったのに、
最後の最後で責任を三角関係に分散したのは、
戦犯級の日和だと僕は思う。わざと?
https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S14916744.html
「中止を首相に求める」と冒頭に言いながら、
結論は首相、都知事、五輪委員会と、
三者に中止を求めることになっている。
ここに構造上の問題があると考える。
太平洋戦争を中止できなかったのは、
政府、陸軍、海軍のように「主体」が複数あり、
それぞれがそれぞれの空気を読んだ結果、
「継続」という空気(継続という「結論」ではない)に、
なったのではないか?と想像する。
僕は同時代の空気感がわからないので、作家としての人間観察でものを言っている。
三者、というのがポイントだ。
二者であれば直接ディベートや交渉は可能だが、
三者の場合、一者がその場にいないと「あの人はどう言うだろう」
と忖度が働き、そこから先に進まなくなるのでは?と思う。
(これは仕事でも良くあることで、その場で決めきれず、
「複数パターン持ち帰ります」がいかに多いか)
三者会談でも実は同じで、
「Aはこのように考えてると思ってるとBは思ってるだろう」
が働き、それが巴になり、議論が進まなくなるのではないか?
(仕事でもここで二時間議論することがよくある。
「私の意見はこうですが、お二方がそうおっしゃるなら」
「いやいや、もう少し議論を深めましょう」と決まらないことはよくある)
むしろこれを避けるために、ディベートは二者間でやるのでは?
と今理解できた。
三位一体説、天下三分の計、三権分立、巴戦、三角関係など、
三者の主体は、決定を遅らせて現状維持でズルズル行くためにあるのでは?
少女漫画の三角関係が長期連載になる理由と同じではない?
太平洋戦争が止められなかった理由と、
五輪が中止できない理由と、
三国志やキャンディキャンディやNANAが長期化する理由は、
三角関係という同じ理由なのではないか?
せっかく朝日新聞は「首相に」とターゲットを絞ったのに、
最後の最後で責任を三角関係に分散したのは、
戦犯級の日和だと僕は思う。わざと?