2022年03月11日

人が集団になる愚かさ(「博士の異常な愛情」評)

とても気になったので見てしまった。
プーチンのウクライナ侵攻のリアルタイムもあいまって、
なんという緊張感よ。

キューブリック好きの俺が、
なんで今まで見てなかったんだ。
傑作すぎる。そしてこれはひとえに脚本力だ。
3つの箱の密室劇として、これは考えられる。

以下ネタバレで。

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posted by おおおかとしひこ at 23:29| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

の邦題に関して、以下のようなwikiを読んで感動したので引用しておく。

---引用ここから
本作の邦題は長いため、『博士の異常な愛情』と略して呼ばれる事が多い。

この『博士の異常な愛情』という部分は、原題の『Dr. Strangelove』からきている(strange love を訳すれば『異常な愛情』となる)。しかしここでのStrangeloveとは人名であり、忠実に訳すなら『ストレンジラヴ博士』もしくは『ドクター・ストレンジラヴ』となる。そのため、この邦題は誤訳と見なされることもある。

しかしながら、これは意図的なものであるという。キューブリックは各国版の公開に関して、原題(英語表記)もしくは原題の直訳以外は認めないとの制約をつけた。『ストレンジラヴ博士』では興行的なダメージが大きいと考えた配給会社は「直訳」という制約を逆手にとり、『博士の異常な愛情』という邦題を捻り出した。以下「〜または私は如何にして〜」と続く長文邦題となったのもこの制約によるものである。従ってミスによる誤訳では無く、意図的なものであった。映画評論家の大黒東洋士は配給会社の意味不明な誤訳やカタカナ邦題を非難するコラムの中で、上記の経緯から『博士の異常な愛情』を傑作タイトルとして挙げている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/博士の異常な愛情
---引用ここまで

いま配給会社にここまで頭のいいやついるのかな。
ファインプレイだ。

ちなみに原題は、
Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb

今の配給会社は、邦題をどうつけるかな。
「ドクターストレンジラブ」だったら殴りに行ってやる。
posted by おおおかとしひこ at 18:06| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【配列】英瀞ルナ配列

TRONをベースに月系の前置シフトに改造したもの。
L前置で濁点化することで、すべてを前置シフトにした。
使用範囲26、濁音、半濁音、小書きの同置。
https://mobile.twitter.com/madeinwariofan/status/1500448616107937793

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posted by おおおかとしひこ at 13:16| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岸田構文

小泉構文につづき、岸田構文というのが指摘されてるらしい。
Twitterから。
> 「何もしません!」を霞ヶ関的にいうと、
> ・緊張感を持って対応
> ・引き続き注視して参りたい
> ・動向を見守りたい
> ・諸般の事情に鑑み、専門家の意見を仰ぎつつ、関係各社と調整の上、慎重に検討してまいりたい。

台詞は嘘をつき、
行動が真実である例だ。

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posted by おおおかとしひこ at 11:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【薙刀式】華麗なる打鍵をよくピアノにたとえるが

ピアノと言葉や文章は、本来関係ないと考える。

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posted by おおおかとしひこ at 10:59| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【新下駄】由来の話

kouyさんが呟いてたので。
> そう、下駄配列という名称には、誰でもタイピングがうまくなれる「下駄を履かせる」配列であるという思いが込められているのだ……って思ってたはずなんだけど、どこかに書いてなかったかな……。本当にそう思ったんだってば!

下駄、新下駄周りのブログは読み込んだつもりだけど、
それは書いてなかったと思う…

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posted by おおおかとしひこ at 10:35| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

印刷物を見ながらのリライトでやりがちなこと

手書きでそんなミスしないはずなのに、
印刷物を見ながらリライトするとやりがちなこと。

A「○○○○」
B「○○○○」
A「○○○○」
B「○○○○」

の、○○○○部分だけ直して、
そもそもこれはAから始める場面なのかとか、
ABの会話でいいのかとか、
そういう全体が見えてないリライト。

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posted by おおおかとしひこ at 00:58| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする