2024年06月01日

なぜ設定書を書くのか

Twitterから。重要なので全文引用。

> 取材で聞いた話だが、Netflixの場合、制作開始時に「このキャラはこういう人でこういう原理で動く」「作品の重要な点はどこなのか」という、作品の中で守るべき指針をまとめた、俗にストーリーバイブルと呼ばれるものを作る。で、原作ものもそれに沿って実制作が進む。

毎回成功しているかは別の話だし、「制作に時間とコストがかかる」という欠点はあるのだけれど、「原作ものを扱う」というのはそういうことなのだろうなあ、とは考える。

まあでもフランチャイズ化していくと、原作よりフランチャイズ維持の事情が大きくなって行ったりはするわけだが。

(引用ここまで)
これは幽遊白書の実写化の際の話だそう。
僕は未見だけど、
話を聞く限り原作に忠実な感覚だったそうな。
それが傑作かどうかについては議論の余地がありそうだけど。

で、
なぜこのような「設定書」をつくるのか、
改めて確認したい。

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posted by おおおかとしひこ at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【薙刀式】面白い物理配列

中指〜小指までは格子配列で、
人差し指だけ1/2Uズレの六方最密になる配列。
https://x.com/akchunks/status/1796869964894511279
1.5Uを上手く使ってて面白い。

面白いけど…人差し指だけ遠くならない?
ちょっと試してみたいな。
posted by おおおかとしひこ at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

難産終了

新作。
年明けからはじめて、第一稿を書き終えるまで5ヶ月かかってしまった。
遅くて3ヶ月かなーと思ってたのだが、
やっと120P分書き終えた。

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posted by おおおかとしひこ at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こういうのが見たいんだよ

人の手による超絶技巧。
https://x.com/AKMTKS/status/1794284591131615482

デジタルによる工数の節約?
人件費が高いから属人性の高い仕事を排して、
派遣やベトナム人にやらせる?
それでも無理だからAIでしのぐ?
もうそんなの見飽きたよ。
そして「すばらしい!」ってならなくて、いつもげんなりしている。

今の小学生はまだ模造紙で発表とかやるのかな。
そのゴールを見た思いだ。

人の手による人が作った偉大なるもの。
人の到達した最高峰。
それこそが人の見たいものなんだよ。
CGとか機械による正確な自動何かとか、たぶんどうでもいいんだ。

そして私たちの作る脚本というのは、
こうした工芸品に近い、オール手作りのものである。


多分だいぶ高齢の方だろう。
死ぬまで貫いて欲しい。
posted by おおおかとしひこ at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

内容を理解できない人は

態度で批判するよね。

あいつは生意気、あいつは有難うとか感謝を言わない、
あいつは関西人だからとか。
posted by おおおかとしひこ at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「難しい作家」

という表現ですべてがわかる。

間に立つ者たちは、
原作者を「難しい作家」だと表現している。

これは、「自分たちの意図に沿わない、
頑として言うことを聞かない自己の権利を主張する作家」
のような意味合いだけど、
言うこと聞く/聞かないという、
俺に従え/従わないという問題の裏にある、
もっと深刻な問題が透けて見える。

間に立つ者にとって、
原作者の言っていることが、難しくて理解できてないんだと思う。
たとえば、
間に立つ者が小学校算数しか理解してない時に、
原作者が大学数学の議論をしたら、
「難しい人」と思われるだろう。

だけど、原作を作り上げるには、
それほど難しいことを理解し、実践しないとできなかったのだ。

そのレベルに達していない者が、
原作を作り上げる難しさを理解し、
それをドラマスタイルに上手に改変するだけの、
実力を持っていなかったことは、
この「難しい」発言一発で理解できる。

もし同等レベルに達していれば、
「原作者の言うことは○○で○○ということだが、
ドラマ文法に照らせば○○で○○となるよね?」
というような議論ができたはずだが、
そうではなく、
ただただ原作者のいうことが「難しい」と、
理解を拒否されたのだ。

間に立つ者がバカだ、
というのは簡単だ。

問題は、そのことを恥じてないことと、
バカがそれを学ぶ場がなく、
バカでも原作者レベルに到達するほどの、
理論がつくられていないことにある。

僕が1万記事も脚本論を書いているのは、
もちろん脚本家をめざしたり、
ストーリー作りを目指す人たちを応援したいということもあるけれど、
世間の、
「ストーリーとは何か」の啓蒙をしたい、
という動機もある。

少なくとも彼らはここを読んでないし、
ここを読んでる業界関係者はいないだろう。
それでも僕は書き続ける。
バカを賢くしてやるんだ。


少なくとも、
バカはバカを恥じたほうがいい。
そして、
「ごめんなさい、バカだと間で情報が抜け落ちるので、
天才同士で難しい話してもらっていいですか?」と、
原作者(難しい人)、脚本家(難しい人)、
プロデューサー(バカかも知れない)、出版社担当(バカかも知れない)を、
全員合わせて脚本打ち合わせをするべきだ。

バカが間に立つせいで、難しい部分が抜け落ちる。

そしてその難しい部分こそ、
作品のオリジナリティであり、
決して真似できぬクリエイティビティであり、
原作ファンが愛しているところである。

それを上手に翻訳する能力がないなら、
せめて忠実に再現することを考えるべきで、
劣化コピーすることを考えるべきではない。


そういえば、
角川映画関係者は、西原理恵子原作の理解が、
とても低かったことを思い出して腹が立っている。
そのことでずいぶん揉めて、
僕は「難しい監督」と思われたのだと思うと、
二重に腹が立ってくる。

国語の読解力、作文力はとても大事だ。
しかし義務教育では、
クリエイティビティをどう扱うかの授業はない。
レポートを正しく書けるか、
読み取れるかが中心になっている。
「芸術」という枠があるかどうかは知らないが、
「改変」「翻訳」という授業を、
僕が担当してもいいくらいだ。


理解を、水道管のパイプの太さにたとえる。

今件では、
間に立つ者のパイプが細すぎて、
原作者からやってくる大量の水量を受け止めきれず、
チョロチョロとしか受け渡せなかった。
ネットワークにおけるボトルネックになったのだ。
彼らから見たら、
自分たちのキャパを超えた水量は、
「難しい」となったのだ。


そもそも脚本は難しいか?
物語をつくることは大変難しい。
だからこそ、
僕は脚本添削スペシャルなどを実践して、
難しさを平易さに変えようと、
難しさのベールを剥がそうと努力している。

読んでくれ。脚本添削スペシャル2014-2024 

それでも難しいと思うなら、
クリエイティビティの難しさを扱える器量ではないと、
恥じるべきだ。
恥じた上で、どう行動するべきか、考えて欲しい。

僕はバカをバカにしない。
バカを自覚して立ち回れる人は尊敬するし、
大切な仲間だと思う。
彼ないし彼女がいなければ前に進まなかったわけで、
それは感謝であり回転である。

バカの自覚がなく、理解できないものを排除する者を、唾棄するだけだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間に立つ者の責任

日テレの「セクシー田中さん」のドラマ化に関する調査結果が出たようだ。
えらくかかったね。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/26514036/

原作者の要望→小学館担当者→ドラマP→脚本家

という4者の登場人物において、
二つ目の→で情報が止まっていたことが判明。

原作者は脚本家と話し合うべきだろう。
二人も間に伝言ゲームが入ってたら、
そりゃ無理だよ。
脚本家も「聞いてない」というのは当然だ。

間で握りつぶされたのか、
無能で伝えてなかったのかまでは調査されていない。
間に立つ者は、自殺の責任を負って一生を過ごせ。
命より大事な作品をめちゃくちゃにされた気分を、
同じだけ味わって欲しい。
あなたが世間に出す2万字の謝罪文が、
間に立つ者2レイヤーのせいでめちゃくちゃに改変されて、
世間から総バッシングを受けて言い訳できない地獄へ落ちるといい。


間に立つ者の責任は、それくらい重い。
その責任が持てないなら間に立つ代理人をやめて、
仲介業者として直接会わせる方へシフトするべき。

僕はこれまで、出来ない「間に立つ者」のせいで、
ずいぶん痛みを覚えてきた。
その最悪の例を見て憤っている。
小学館担当者の名前を明かさないのも嫌だな。
そんなやつに命を預けるのは絶対嫌だ。


さて、これは日テレによる公式調査である。
日テレは初動から「私たちは悪くない」を貫いてきた。
その夏休みの宿題を忘れた子供の言い訳じみた言い分も腹が立つ。
ほんとうに原作に真摯に向き合ったかが議論されていないからだ。
このままでは、
「そんなこと聞いてなかったんで、
原作の読み込みも浅くて、
こっちの都合でめちゃくちゃにしました!」
を裏付けただけだ。

で、小学館側の公式調査ってあるんだっけ?
反論するべきだろう。


(追記)
ビブリアをめちゃくちゃにされた漫画家のツイート。
https://x.com/mikamien/status/1796680459277291962
まあ大体僕と同じ見解。
結局「原作をめちゃくちゃにした罪」は、
存在しないんだよな。

(追記2)
調査報告書原本。あとでよむ。
https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/20240531.html
(追記3)
デイリー新潮。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/06011035/?all=1
posted by おおおかとしひこ at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冷静な情熱

熱を持とう。キャラクターは熱がある。
その熱に充てられて、
観客は巻き込まれていく。

でも派手な、分かりやすい情熱だけでなくてもよい。
冷静な情熱というものも人間にはあるからね。

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posted by おおおかとしひこ at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする