【薙刀式】再変換時も単文節と複文節でアンドゥ回数が異なった

単文節と複文節で状態遷移数が異なる、
というMS-IMEの仕様ていうかバグ。
再変換時も存在した。

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posted by おおおかとしひこ at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

嵐の前触れ

今東京は超大型台風7号が接近中だ。
朝ものすごい横殴りの雨が降って、
一瞬止んだので昼飯に出かけた。

時間ごと天気予報によれば、
これから激しくなるらしい。
夜にかけてもひどくなるそう。

で、今その、「嵐の前の静けさ」で、
なかなかその感じいいよね、という話。


空は暗い。風が強くなってきた。
台風を予測して臨時休業の店ばかり。
雨は降ってないが、傘を持ったままの人が小走りに急ぐ。
そしてそもそも街に人は少なく、じっとこれからに備える感じ。

台風のようなクライマックスの前に、
こうした「静かなのだが嵐の予感」みたいなシーンがある映画が、
僕は好きだなあ。

怒涛の勢いのままクライマックスに突入してもいいんだけど、
「最後の静かなシーン」みたいなやつ。
風魔の10話はそういう狙いでつくった。
ウイングマンで、最終決戦に出かける前の主人公が、
親友たちの枕元に一つずつヒーローのソフビをそっと置いていく話があるんだそうな。
同じ気持ちだよなあ。


そういえば、ターミネーターのラストシーンがそうだった。
T2なんかよりずっと好きなあのラストシーン。
いつも大事な仕事の前には、あの会話を脳内でやってる。

城戸賞に出した脚本で、
ラストバトルの前に10行ほどの無言のシーンを入れた。
流れを断ち切るか心配になったんだけど、
今は入れて良かったと思ってる。
posted by おおおかとしひこ at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

物語とは「あなたが世界に認められる過程」ではない

メアリースーはなぜ起こるか、
なぜご都合主義になりがちなのか。
その答えはこれなんじゃないかと考える。

つまり、
物語作者は、
物語という架空世界で、「自分が世界に認められる」を描いてしまうから、
客観から遠ざかるのだと。

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posted by おおおかとしひこ at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする