2013年08月09日

物語の面白さって、何?

あなたが物語に素人な、投資家だとしよう。
ある映画の脚本やプロットを見て、億単位の金を出し、黒字で回収しなければ首が飛ぶ。
投資する映画が面白い面白くないを、見極める自信はない。年に一本ぐらいは見る程度。
面白さなんて主観じゃないか。でもなぜヒットするものと失敗するものがあるのかが分らない。

製作担当者は、主演の人気、主題歌のバンドの人気、原作の人気、テレビ局のバックアップ
をあげて説得に来ている。脚本を読んだが、これが映画としてヒットするのかは皆目分からない。
そのとき、指針となる要素はなんだろう。
現在の映画ビジネスは、役者の人気や原作の人気を、投資金額に見合う担保にしている。
人気者をテレビで大量に宣伝すれば、その内容いかんに関わらず、劇場に人気者を見に行くだろう、
というビジネスモデルだ。
投資金額の回収は、ある程度見込めるだろう。失敗のリスクも大きくないだろう。
数字は、ある程度読める。

にも関わらず、この手の映画が、面白かった試しがあるだろうか。
人生を変える、文学たる物語であった試しがあるだろうか。
映画は、興行と同時に、作品である。
興行だけを投資の目的にするならば、数字で測れるものさしだけで金を張り続ければよい。
金を回し続けて太っていけばよい。

金はなんのためにあるのだろう。投資は、本来パトロンだ。
面白い映画をつくることに投資することが、投資の本来の目的のはずだ。
面白い映画こそが、映画ファンを生み、映画市場が成長する。
面白くない映画の量産は、映画ファンを不信にさせ、映画なんてみなくていいやとさせ、
映画市場を縮小させるだろう。
なんのために投資をするのか。
短期的に回収するのなら、今のビジネスモデルで市場を痩せさせ続ければいい。
ほんとうにこの業界を良くし、この市場を成長させ、豊かな実りを継続して得たいのなら、
面白い映画に投資し続けるべきである。

映画は、面白いか面白くないかが勝負だ。
そんなことは、分っている。
でもそれが分らないから、負けない要素に賭けてしまう。
もっと強気に、ほんとうの面白さについて、みんなが議論してもいいのに。


映画の面白さは、僕の説だが、次の6つに分類される。

1 ビジュアルの面白さ
2 主題のインパクト
3 リアリティ
4 人物の面白さ
5 ストーリーの面白さ
6 テーマの普遍性

これらが、すべてそろわない映画は、面白くない。
(ピンポイントで、カルト的人気を得る可能性はある)
そのチェックに使って欲しい。
書き手たちは、これを備えているかを、日々自分に問うべきだ。

1 ビジュアルの面白さ

見た目。
世界観とよばれ、「その世界が魅力的かどうか」が問われる。
ファンタジーや魔法世界、時代劇、中世ヨーロッパ、CG、などの派手なものから、
シリアスなドラマの世界観まで、世界のビジュアルは、まず魅力的かどうかの第一ポイントとなる。
ロケーション、セットデザイン、ガジェット、衣装、配色、トーンなどの具体で示される。
脚本家より、監督が重責を負うパートだが、脚本内に暗示されていることが必要である。

2 主題のインパクト

「人食い鮫が襲う」や「車がロボットに変身する」など、映画をひとことで言うとどういうことか、
というもの。コンセプト、ログラインとも呼ばれる。
派手なものから、地味でシリアスなものまで沢山ある。
これが、インパクトがあり、魅力的かどうかで決まる。

1と2を合わせて、ワンビジュアル、ワンシートと呼ばれることがあり、
多くはポスターやその映画のイコンとなる。
有名俳優が勢ぞろいして立っているだけのビジュアルは、主題を暗示していないので、
それはビジュアルデザインが悪いか、話がつまらないかのどちらかである。
これを見分ける方法がある。一語の動詞で示せるか、ということ。
物語とは動きである。その動きを示すのは動詞だ。
たたかう、助ける、救う、彼女のハートをゲットする、復讐する、潔白を晴らす、
見つける、などが代表的だ。
動詞で表現できないなら、先にのべた「アイドルとの暮らし」と同じだ。
動かない状況がつづく、平板でつまらない話しの可能性が高い。

3 リアリティ

物語とはウソである。いいウソでなければならない。
下手なウソは、矛盾したりしている。上手いウソは、無矛盾で、しかもリアリティがある。
ロボットが動くのはリアルじゃないからダメだ、ではない。
「ロボットが動く」ウソをひとつ認めたなら、「その世界の中では」他の全てがリアルである、
というのが正しいウソの付き方である。
結婚詐欺は、「僕があなたを愛している」ということだけが嘘で、
全てはそこから出発している。あとは全て真実のようなリアリティを持つ。
上手いウソとは、そのようなことだ。

これが欠けると、人物の行動に無理があったり、感情移入できなかったり、
人の気持ちの推移が自然でなかったり、話の展開がご都合主義になったりする。
こんなことあるわけがないよ、と「途中で」思うのは、世界内のリアリティが欠けている。

4 人物の面白さ

主役、脇役、敵役、ヒロインなど、重要な登場人物に、最低一人、魅力のある人物がいること。
出来ればその人物が最も多く出番があり、主役であること。

正義の味方だけが人間の魅力だと単純に思ってはいけない。
人間には影があり、悪もときには魅力である。矛盾があったり、欠点が魅力になることもある。
映画は漫画ではない。人間が演じるものだ。
人間の魅力を描けなくては人間がやる意味がない。
人間の魅力を描くのは、作家の第一の仕事である。
その人物が魅力的かどうかは、素人でも判断出来る。人生経験が深いほど、その判断は出来るだろう。

注意したいのは、有名俳優がやるから魅力的だと誤解してしまうことである。
たとえ(実力のある)無名俳優が演ったとしても、なおその人物が魅力的であるように、
脚本にその魅力が書かれている事が重要だ。
(逆に、面白くない映画は、そのタレントがタレントそのものとして出ている。
キムタクヤマトとか。あれはキムタクでしかない。古代進の魅力とは何で、
それがどう脚本に書かれていたか。なかった。)

ビジュアルのない、小説の登場人物の魅力を考えればわかる。
なぜ彼らはそれほど魅力的なのだろう。そのようなものが、脚本にあるべきである。


1-4はすべて、「静止した絵」について言及していることに注意されたい。
「設定」と呼ばれる、止まったものの表現である。
逆に、これらのどれが欠けても、面白い映画にはならない。最低条件といってもいい。
静止画ゆえ、紙の上にならべて検討することが可能だ。

素人は、これらが面白ければ面白いという誤った判断をすることが多い。
「目で見えること」「記憶に静止画で残ること」しか脳内で扱うのは難しいからだ。
多くの下手な映画報道では、ここまでしか言及されない。
「動き」を書いたり再現することが難しいからだ。
(たとえば、リメイク版「トロン」は、ここまでの要素はすべて面白かった。
ところが本編はどうだ? 眠くてたまらなかったではないか)

物語とは、動きの魅力である。ダンスや音楽や料理と同じだ。
どう動くかが物語だ。その魅力の要素が5、6である。次回につづく。
posted by おおおかとしひこ at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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