予告と違いますが、面白さの話、つづけます。
以前にあげた1-4と、56の差は、女の化粧と中身にたとえてもよいだろう。
我々は、化粧や服や外見や小物やアレンジをほめる言葉を沢山もっているが、
中身をほめる言葉を、それ以上に持っていないのではないだろうか。
お話を誰かに語るとき、どこが面白かったのかを話すとき、
我々のボキャブラリーは、どうしてこうも外見に比べて貧弱なのだろう。
女は、外見以上に中身が重要だろう。性格や器量を並べても、それは1-4の要素だ。
「髪形がステキ」「メイクの色がふわっとしている」「肌がいい」「目がいい」「スタイルがいい」
「流行からちょいずらした崩し上級者」「ミニスカートがいい」「かばんが服と合ってる」などなどなど。
これに対して、その人の良さを表現するのは、「性格がいい」「価値観が合う」とか、
抽象的なことしか言えない。
それ以上に強力なその人良さの表現は、エピソード形式だ。
これこれのときに、こんなことをした、言ったなどの方法だ。
それでその人物すべてを表すことは出来ないが、一部はとらえられる。
そういう小エピソードの積み重ねで、その人の良さを表現するしかないだろう。
物語の良さを話す時も、これと同じことが言えると思う。
なんでいいのか、をうまく説明できない。
だから、その場面を再現して見せて、ね、いいでしょ?と言うしかない。
映画を観終わった後の喫茶店で、一緒に見た人と感想を言い合う時、
良かったことについては、「あれは良かった」という表現しか、我々は持ちえない。
「あれ」の中に長くて複雑な場面を凝縮したことにして、話すしかないのだ。
それらを部分で取り出して、部分のつなぎあわせでその良さを表現するしかないのだ。
性格や外見ではない、人の中身の魅力を表現するのと同じように。
もしあなたが誰かの中身をうまくほめる言葉を沢山持つなら、
映画評論家の才能があるかも知れない。
好きな映画を主観的に語ることは出来ても、客観的な評価でほめることは難しい。
だから、僕はある種の評価基準を、これまでに書き出してきたつもりである。
図式化やテーマは書く側のツールであるが、評価する側のツールとしてもある程度機能すると考える。
きょう、テーマについての分析がうまく言葉になったので、次でそれを書くことにしよう。
2013年08月14日
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