2013年08月27日

脚本は、自分を書いてはいけない(ガッチャマン批評3含む)

自分への戒めもこめて最近よく言うのだが、
脚本は、自分を書くな、という話。

大体、脚本書くなんて奴は、ひょろひょろで弱っちいやつで、
クラスの中でも目立たなくてもてなかった奴ばっかの筈だ。
だからこそ膨大な時間を、妄想に使ってきた筈だ。

脚本家とは、その妄想力を仕事にする人のことである。

もともと弱っちいから、たいていこのような妄想がある。
「普段は弱くて虐げられている俺だけど、
ある日スーパーパワーが生まれて、尊敬される日が来る」
ほとんどの「おはなし」は、この妄想が原動力になるといってよい。

弱い妄想力では、これをそのまま話にしてしまう。
すると、たいていこのような批判が生まれる。
主人公が何考えてるか分らない(魅力がない)、主人公に感情移入できない、
主人公が動かず、楽ばかりしている、などだ。

当たり前だ。
弱っちい作家が、自分のことをスーパーパワーという妄想で、
鎧を固めているだけだからだ。
リアリティなんてあるわけがない。夢の世界を書いているだけなのだから。

強い妄想力を持つ作家は、
ここにリアリズムを持ちこむ。
ほんとうにこういうことがあったら、周囲はどうなるか、反発はあるか、とか、
これを利用する人達がいるのでは、とか、
マスコミは、とか、国家組織は、とか、CIAは、とか、ネットの噂は、とか考える。
急にスーパーパワーが現れた時のリアリティを詰めていくのだ。
それが作中に現れるとは限らない。
国家安全保障委員会は目をつぶる、と設定して作中には登場しない可能性もある。

スーパーパワーについてのリアリティもだ。
それは物理学のどのジャンルに属するか、何に似ているか、
似たような物理学がある場合、その現象とどう違うか
(たとえば飛行能力なら、Gやブラックアウトの問題、燃費やエネルギー量と補給の問題、
空気抵抗、高空の温度や呼吸の確保。
航空管制官やレーダーの性能、領空侵犯のスクランブルはどうやって起こるかの仕組みなどなど)
を把握しておく必要がある。

「それが、リアル世界で出現したときどのようになっているか」を詰めるのだ。
弱い妄想力だと、そこまで妄想しきれない。
関心は自分の中にあり、自分を描く事で精いっぱいだからだ。
強い妄想力は、リアル世界に放り込むまで考える。
「こんなことがあるんなら、こんなこともある筈なのに、なんでそうなってないの?」を
ひとつ残らず潰しておくのだ。

所詮弱い妄想力では、下手なアニメのようなぺらっぺらの世界にウソを持ちこむしか出来ない。
強い妄想力では、まるでそれがほんとにあるかのように細かい所にリアリティがある。

たとえば「俺がモテモテになる」というスーパーパワーは、
リアル世界ではどういうことになるか、ほとんどの妄想では詰め切れていない。
相手がアニメのような反応しか出来ないことが多い。
アニメのようなモテモテ状態しか、表現しきれない。
(だからリアル女子にはキモチワルイと非難されるのだ。
逆を考えれば分る。イケメンホストにモテモテ女の話は、たいてリアリティがなく、
マンガ的だ)

映画は、実写である。
アニメやマンガでは、デフォルメするという言葉を免罪符に出来る。
映画では、デフォルメは許されない。
リアリティがないということは、致命的なのだ。

自分を中心にした弱い妄想では、
その嘘を受け入れる膨大な人のリアリティにさらされるのに耐えきれない。

それに耐えうる、強い妄想力が必要なのだ。


以下、ガッチャマンの批評だが、
ガッチャマンの脚本家の妄想力はアニメレベルだ。
アニメをバカにしているわけではない。デフォルメ前提の意味である。
実写のリアリティを保ち得ていない、という意味だ。

「すごいガッチャマン」を描くための舞台装置が、ぐずぐずである。

アメリカは対ギャラクターに何をしているのだろう。
ギャラクターの仕掛けてきた侵略戦争に対し、
戦術核の使用はなされたのか。
無効だったとして、USA最強の海兵隊が、ギャラクターの一人も捕まえていないのか。
13年あればシールド能力の研究は出来た筈だ。
何らかの犯行声明、宣戦布告、彼らの主張は分っているのか、
それは世間でどのように認知されているのか。
彼らの本拠地が分らない、というのは不自然だ。
何故追跡出来ないのか。彼らの移動手段は何か。
ワープゲートを開いていたが、その原理を誰も研究していないのは不自然だ。
周囲の電磁場の変位の測定ぐらいするだろう。
あれだけの物質量の転送に、周囲の電磁場や重力が影響を受けないわけがない。
勇気ある兵隊が、あのゲートに突入しなかったのか。
ゲートを裏から見るアングルがあったが、裏から砲撃しなかったのか。

17日で世界の半分を死滅させたとあるが、
どこの国が壊滅して、どこが無傷で、どこが半壊なのか。
衛星砲で狙われた地域が無傷と仮定すると、どこ? 人口的に中国?
NYとロスに人がいるなら、アメリカはほぼ無傷だ。
IPOにアメリカ人がいないのは何故か。
海兵隊や特殊部隊との連携がないのは何故か。安保条約はどうなっているのか。

日本の技術者以外に石の研究者がいないわけがない。
13年あって、その研究成果は共有されていないのか。
(各国が牽制しあっている設定でも構わない)
そもそもシールド能力を突破するG粒子が発見されたなら、それを何故応用しないのか。
G粒子とはどのような性質で、たとえばα線とはどう違うのか。
ビーム兵器ではないどの要素がシールド突破能力に関係するのか。
石の適合特性は何で、何故適合者だとわかり、それをどうやって集めているのか。

適合者だけがG粒子を使えるとして、
それがどれほど人類の救いになるか、自覚はあるのか。
掟とか任務のレベルではないだろう。
契約による最高機密の最終兵器扱いの筈だ。
病気の母親や、俺達はなんのために、というレベルではない逼迫状況だろう。

そもそも仮面パーティへの接触任務なんてやらせてないで、
対シールド突破戦力として特化すべきではないのか。
一端突破すれば、以後の戦闘は従来兵器でも可能なはずだ。

G粒子を収束させる剣があるのだから、
それを蓄積してもっと大きな剣をつくり、
要塞を突破する船や飛行機をつくり、強襲艇をつくらないのは何故か。

ギャラクターの科学力とその生産能力は、どこから来ているのか。
兵隊のバトルスーツは誰が設計し、どこで大量生産しているのか。
武器商人から武器を買っているのか(とすれば仲介者は誰か)、
自分で生産しているのか。
生産工場の人は奴隷なのか、ウイルスX感染者か。
どれくらいの日数がかかり、一体いくらするのか。
巨大メカはどこでつくったのか。誰が操縦しているのか。
現代の科学では不可能な機動力は、どのような原理か。
その科学はどこ産のものか。
原理だけでなく応用実用化までのプロセスは。
他にどのような工場でどのようなものを生産しているのか。
ウイルスX感染者同士で生殖可能なのか、子供はどうなるのか。
めしはくうのか。

これらのことに、瞬時に答えられるほど、世界が詰められていたか。
SFとは、そこまで詰められていて、ようやく実写内でのリアリティを保つ。

弱い妄想力では、そこまでを詰めていないだろう。
何故なら、「弱い僕はほんとうは強い」にしか興味がないからだ。



以下、脚本論に戻る。

脚本では、自分を書いてはいけない。
主人公を自分にしないこと。
弱い言い訳や、不自然な覚醒によるパワーアップで辻褄合わせをしてしまい、
リアリティを失う。リアリティがないことに、自分だから気づかない。
それヘンだよ、と指摘されても、俺の書きたいのはこれだもん!と意固地になる。
否定されたら、つまらないことを素直に認める勇気は決してない。
だって自分だから。自分の醜い顔を認めるのは、誰だって嫌だから。

弱い妄想力では、自分を主人公にしてしまう。
ガッチャマンや、ゲド戦記や、風立ちぬのように。


映画とは第三者視点の、三人称文学である。
誰もが認めるすごいやつ、誰もが認める葛藤を持ったやつ、誰もが認める欠点や魅力を持ったやつ。
「他人」を主人公にすること。

他人なら、自分じゃないから、安心して欠点や活躍を、面白おかしく出来る。
自分だからこんなこと出来ない、自分だからこんなに上手くいくわけない、
なんてネガティブな部分を、他人だから勢いでクリアしてしまう。
その他人の魅力を描けばいいのだ。
あなたが描くその他人は、そのうちあなた自身と重なってしまうだろうけど、
それでもその他人を描いている意識は持ち続けた方がよい。

自分からそんな活躍を出来る人は、そもそも脚本を書こうと思わない。
あなたは、活躍できない自分を書くのではなく、
活躍している(脚本を書かない人生を選んだ)他人を描くべきなのだ。
取材が必要なのはいうまでもないだろう。
ドキュメント作家の取材する量を、一度見た方がよい。
その事実の量ぐらい妄想しないと、同等のものは書けないだろう。

強い妄想とは、あなたの中だけにあるものではない。
他人と共有する、素晴らしい妄想になるように、
他人から見てもうまく出来たものをつくらなければいけないのだ。
posted by おおおかとしひこ at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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