物語が面白くなる要素は、
1 ビジュアルの面白さ
2 主題のインパクト
3 リアリティ
4 人物の面白さ
5 ストーリーの面白さ
6 テーマの普遍性
である、としてみた。ガッチャマンで検証してみよう。
まずは、動きに関係しない、静止画的な要素1-4から。
1 ビジュアルの面白さ
Gスーツデザイン、ギャラクター一般兵は、及第点。
役者は、賛否両論。
特にジュンとカッツェの解釈は、つきつめてこれしかない、というレベルに達していない。
(ミニスカパンチラの猛烈な期待を裏切って出したものは、それ以上の存在意義が必要だ)
冒頭のアクションは、まあがんばっている。
しかしこれがピークとは。
ファーストアクション、ミッドポイントのアクション、ラス立ち(クライマックスのアクション)
の最低みっつがアクションの最低条件。
(「ミッションインポッシブル:ゴーストプロトコル」では、
クレムリン潜入、ドバイタワー登る、すり替え作戦、砂嵐チェイス、ラス立ちと盛りだくさんだった)
合間に小さいアクションが入るのが普通。
スーツアクション以外の生身のアクションは、
ケンとジョーが銃を構えるのと、リュウが椅子をひっぺがすのしかなかった。
ワンアクションであり、シークエンスアクション、シーンアクションではない。
アクションシークエンスが冒頭とラストしかないって、それってアクション映画か?
ゴッドフェニックス、カッツェのデザインは微妙。
キャタローラー、キングタートル(?)のデザインは、
前者はアニメっぽすぎ、後者は樋口ガメラ時代のバイオ系デザインで、古すぎ。
(ベストは、旧スターウォーズのような汚しの入ったメカっぽいメカではないかと思う。)
2 主題のインパクト
「石の能力の適合者が、人類の半分を滅ぼした謎の組織に立ち向かう」。
ガッチャマンじゃない前提だとしても、
石の能力とか、適合者とか、古いよね。
R−タイプの裏設定かと思ったわ。80年代に既にあったし。
(ゴッドフェニックスに適合者の脳髄が使われている、なんてまんまやん!)
3 リアリティ
なさすぎ。これについてはかなり書いた。
人間関係のリアリティもない。
ジュンとケンの関係はとくに。うざい女。
ナオミの事が清算出来たから、自分を好きだと言い続けてきたジュンに心を許すって、
恋愛ものとしては最低でしょう。
4 人物の面白さ
魅力ある登場人物は皆無。脇も脇の、リュウが一番よかったってどうよ。
ケン:動機が謎。感情移入出来ない。
ジョー:ただの不幸背負う人。感染者がケンで、正義と悪に悩む話のほうが面白いと思うんだけど。
ジュン:コミックリリーフという役割はありだが、ただのバカスイーツ。
こういうOLが仕事場にいたら、絶対一緒に仕事をしたくない。ましてや命は預けられない。
最近のアニメでよくある「実は最強なのだが実生活では無能力、むしろ病んでる」
パターンに近いが、デフォルメの効かない実写では寒い。実際、演技はアニメ的だった。
ジンペイ:コミックリリーフにも、天才ハッカーにもなっていない、中途半端な立ち位置。
リュウ:一番キャラが立っていたが、残り4人はこれ以上キャラが立つべき。
ここでキャラを立ててどうするのだ。
南部博士:一番動機や考えていることが不明。普通この曖昧な人物像なら、
「ラストに真犯人だと分る署長」のパターンの筈だが、それもなし。
カークランド博士:いる? この役割を南部博士にしたほうが面白くなると思うけど。
イリア:いる? 中村獅童ではなく、初音がやればよかったのでは? 仮面舞踏会の意味もあるよ。
ナオミ:いる? ギャラクターになった理由は分ったが、カッツェになった理由は不明。
殺して欲しかった人格と、自由になった人格の統合がなされていない。
そもそも最も葛藤が多い人物。これが主役なら分るけど、ケンの葛藤(コンフリクトのドラマ)が
これを凌駕しないと、ケンは主役とはいえない。
中ボス:三人ぐらいいたけど、いる? 戦闘員が戦闘できないから要員の割には目立たなかった。
戦闘員:ショッカー戦闘員以上に重要な役の筈。マスクを剥いだらただのおっさんだったことに、
子供心にリアルな衝撃を受けたものだ。あの戦闘服を何故はがなかったのか。
火の七日間や、テンプルナイツのような、ただ歩いて来て焼き払うキャラなので、使いようがない。
さて、静止画要素だけで、これだけの問題点がある。
よくこれで企画書通ったな。
企画書が余程上手かったか、製作委員会の読解力がないか、どっちかだろう。
「どこが面白いの?」って、これだけでも聞きたくなるよ普通。
さて、物語の本質、5と6の「動き」について。
5 ストーリーの面白さ
主人公の戦う動機がまず不明なので、初手から動きがない。
戦う主人公が戦う理由を探す話は、たいてい内気な話になってつまらない。
(Re: サイボーグ009なんて最悪。人々の命を守る喜びは、何故描かれないのだろう)
ついに見つけた!俺は戦うぞ!がクライマックス直前の
第二ターニングポイントに来るのだが、それでしびれるほどの感情移入をするだろうか。
人類の為に戦うのは、あたりまえでしょう。
311の現場処理をしていた自衛隊たちが、どれだけ尊い人達か、
少しでも議論にのぼったのだろうか。
ケンならではの闘いの理由がジョーを助けること? 腐女子ウマー? あほか。
動きの大きい部分に着目すると、
中盤のカッツェ=ナオミのネタばらし、ウイルスXの設定部、ジョーの感染、
同時にケンがジンペイを見捨てること、
あたりだが、
前者は退屈で、後者はプロットとして小さいものになっている。
ジョーやケンへの感情移入が不十分だから、彼らに起こった重大事にハラハラ出来ないのだ。
むしろ、メインプロットのはじまりがここなのだから、
これをACT 1に配置するべきではないか。
ACT 1:
ガッチャマンのファーストアクション内で、ケンの動機(闘いへの疑問)を見せる
イリヤ拘束任務
イリヤ脱走、ジンペイを見捨てる
イリヤの正体判明、ジョー感染する
を、アタマ30分でこなして(過去設定はACT 2であと説していく)おけば、
この物語はどう進むのか、について少なくとも興味を持てたのではないか。
そうすれば中盤戦で、
「ウイルスX=ガッチャマンの可能性」のどんでん返しなどが生きてきたのではないか。
(そもそもこの話が面白いかどうかについては、ここでは問わない。
動きが小さくて詰まらないことだけを指摘しておく)
6 テーマの普遍性
この物語のテーマは何だろう。
ケンに限って言えば「戦う兵器としてつくられた男が、過去の任務違反を反省する話」だ。
なにそれ? 面白いの?
「侵略者を超パワーで倒す」はテーマではない。
これが独自であることが作品のオリジナリティだからだ。
カッツェのアンチテーゼ、「自由サイコー、あんたらは縛られてる」もわからない。
「任務に従う秩序」がテーゼになってないからだ。
(しかも南部博士の命令に反しジョーを助けることがカタルシスを狙ってるし)
つまり、一貫するテーマがない。
どの人間でも理解し、我が事に置き替えて考えるレベルのテーマもない。
誰向け、とかどうでもいい。
大作なのだから、女性、子供、老人、ファン、ファンでない人、
全ての人が我が事に置き替えて考えうるテーマを設定すべきなのだ。
原作にはある。「科学を悪用してはならない」という原水爆がリアルだった時代のテーマだ。
今更のテーマではない。
大きな力を得たとき、人はそれを何に使うのか。
(科学でなくても、権力、ネットをはじめとする発言力、株の力、立場などいろいろある)
自由に使うのは悪なのか。
大きな力を持つ者が小さな力しか持たない者を滅ぼすのは自然の摂理であるが。
というのは、永遠のテーマだろう。
それに、人類側がどのような結論を出すか、ケンがその結論の何を体現するか、
がこの映画なりの結論になった筈である。
正義と悪とヒーローは、そのオリジナルな回答を用意しなければいけないジャンルである。
(法廷ものだと、法による秩序の回復、法の網を潜り抜ける者を法で裁く、などがある)
そんなもの、この映画からはなにひとつ匂って来なかった。
科学忍者隊ガッチャマンは、そのようなことに真正面から挑んだ作品だ。
ときおりチープでも、その魂にみんなしびれたのだ。
ところがこの映画には、それに比肩しうる魂や志や、一貫したテーマはどこにもなかった。
それは、この映画の敗北を意味する。
1-6の基準で見たとき、
この物語はどうしようもない駄作である、と結論づけられる。
テーマはない、動きは物足りない、
人物は脇しか魅力がなく、リアリティは破綻、主題は古臭く、
ビジュアルデザインが一部期待できるが、その他は微妙、
という結論だ。
静止画的な要素は、脚本完成後も変更できる。
表面的な化粧は、方向性を変えて統一的であれば塗りつぶせる。
中身は化粧ではごまかせない。映画は写真ではない。動いたらばれる。
脚本に最も必要な要素、テーマと動きがないので、どうしようもない、
という結論である。
あなたがこの映画の出資を頼まれたら、断る方が損切りになるだろう。
2013年08月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック