批評でも触れたが、面白い映画とはつまるところ、
いかに面白い焦点をつくりだし、いかにそれをうまくツイストして、
次の面白い焦点へ渡すか、だと思う。
焦点には、以下のような構造があると思う。
つまりは、はじめの焦点、途中の焦点、最後の焦点である。
「はじめの焦点」は、映画がはじまり、世界が大体わかってきたあとにある、
「まず最初にしなきゃいけないこと」のことだ。
脚本の教科書には様々な説があるが、開始8分から12分あたりまでにそれは起こる必要がある。
カタリストとかきっかけとか呼ばれるもののことである。
(異物論では「異物との出会いによって、日常への回復を求めること」と書いた)
それがターニングポイント→焦点→ターニングポイント→焦点→…
と連鎖して、
「最後の焦点」につながる。
(敵を倒せるか? 家へ帰れるか? 地球は助かるのか? 日常は回復するのか? など)
それはたいていセンタークエスチョン(かその部分集合)である。
その決着がつけばこの映画は終わる、と分るものである必要がある。
つまり、最初と最後の焦点をのぞけば、
「映画は、ほとんどが途中の焦点だ」ということになる。
途中の焦点を、全て面白くして、なおかつ感情移入させなければいけないのだ。
だから脚本は難しいのだ。
もし煮詰まったら、焦点とターニングポイントの一連を書きだしてみるとよいだろう。
つまらないところはどこかに印をつけるのだ。
リライトの中心はそこになる。どうやったら面白くなるか、脳味噌を絞るポイントを決めるのだ。
焦点とターニングポイントの一連は、一本とは限らない。
むしろ映画では、複数本あるものだ。一直線では話が大きくならないのだろう。
これを、サブプロットや、サブストーリーラインという。
各ストーリーラインにも、当然焦点とターニングポイントがある。
それらは、ある場面で合体したり、分裂したりする。
気をつけるべきは、サブプロットがメインプロットより面白くなってはならないことだ。
火急性や重要性を、サブとメインの関係を逆にしてはいけない。
自分がどこを面白いと思っているか、それは上がりでバレる。メインを面白くなるように智恵を絞ろう。
サブに逃げると、「パシフィックリム」の「怪獣へのドリフト」の方が
「主人公がマコと組んで最後の戦いへ挑む」より面白くなって主人公への連帯感が薄れる、
みたいになってしまう。
(どうすれば良かったのか、についてはビッグアイデアはないが、
たとえば、怪獣の脳は、兄を殺した怪獣のものだと分り、ドリフトを主人公が申し出る、
とかにすると熱くなったかなあとは思う)
複数のストーリーラインでも、一本のストーリーラインでも、
焦点→ターニングポイントの単なるくりかえしになるとは限らない。
ひとつの焦点が解決しないうちに(あるいは解決したが微妙に未解決部分が残り)、
次へすすんでいくことがある。
これが伏線である。生きた伏線とは、焦点が複数になることで起こるのだ。
これを一端脇に置いておき、切り札としていい場面で使うと効果的である。
(それを忘れていたら、単なる置き忘れだ。リライトすればするほど、
この置き忘れというジャンクは増えるので、掃除が難しくなる)
勿論、伏線は未解決焦点だけではない。既に使ったものなら、何でも伏線に使えはする。
焦点とターニングポイントを主骨格に、
人物の行動や動機や謎などをその脇に内蔵のように書くと、全てのストーリーラインが俯瞰できる。
焦点への興味を維持する方法は、それがどのような感情を持っているか、
ということに尽きると思う。
脚本では、どこかでこの興味が失われる退屈ポイントが出てしまう。
それを防ぐ方法について、次回で書こうと思う。
2013年09月03日
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