2013年09月12日

みっつのシーン

シーンには三種類ある。
次に動く予感のシーン、動くシーン、動いたあとに来るシーンだ。

物語を「動き」で考えると、この三つ以外ありえない。

例外はラストシーンのみだ。もうこれ以上動かないからこそラストシーンとなる。
さて、この三種のシーンを、詳しく見ていこう。

1 次に動く予感のシーン

シーンの最後に、何か(事態、人物)が動くことを予感させる。
映画冒頭ほか、どこにでも入るシーンだ。
第一第二ターニングポイントは、代表的なそのビッグシーンである。
「何か動きそう」からはじめて、なかなか動かなくて、やっぱ動きそう、というじらしにも使える。

2 動くシーン

アクションシーン、実際の行動のシーン。
しゃべりながら行動するより、黙って行動したほうがかっこいいので、
セリフは殆どない事が多い。
(逆に、セリフは1と3に多いということだ)

3 動いたあとに来るシーン

前に動くシーンがあって、次に来るシーンだ。
このシーンが一番難しい。停滞しやすいポイントだ。
動きの余波を描いたり、そのことに人物がどう思っているかを話したり、
過去からの影響「だけ」を描いていると停滞する。
(ちょっと落ち着きたい、と思うものだが、落ち着きすぎは停滞となる)
そうしながら、次へのセットアップを同時にすると、停滞を防げる。
逆に、このシーンの役割は、「次への設定」と認識するべきだ。
つまり、3と1は同時進行でも構わない。
そうすると焦点が変わる、すなわちターニングポイントとして
このシーンを描きなおすことが可能になる。


一本道のシナリオなら、123→123→123…という構造になるだろう。
ワンシーン内でやる方法もある。
ワンシーンで、123、とやってもよいし、231、とやってもよいし、
31231、とやってもよい。

焦点と行動の一連、すなわちストーリーラインが一本ならこうだが、
サブプロットがあると、さらに複雑になる。
ABの二本あるとして、
A2がB1を兼ねていたり、A2の結果A3がB1やB2になっていたり、
B1をしながらA1をしていたり、など色々なパターンがありえるだろう。
逆に、このような組み合わせをするように、ABC…の事件が組めるとよい。
サブプロットは、メインプロットの裏である、という意味もこういうことだ。
Aの進行とBの進行は裏表であり、テーマ性としても裏表であるとよいだろう。

同時進行、という編集をするなら、A1B1→A2B2→A3B3を基本形として、
A1A2→B1→A3→B2B3、B1→A1→A2B2→B3A3など、変形パターンも組めるだろう。
それが一連であるように、事件や行動の組み合わせが出来ると面白くなるだろう。

ABが絡まないと面白くない。
Aの何かがBの原因になっていたりなど、因果がないとつまらない。
関係なくただ同時進行しているだけのパターンは、つまらない。
(「ロードオブザリング2」はその典型。「ダークナイト」「ダークナイトライジング」もそうだった。
同時進行は、ある事件を俯瞰的な視点から見る冷静な視点の面白さなので、感情移入とは逆なのだ。
サブプロットを束ね、集約する技量のない脚本家がこの手に逃げやすい。
「スパイダーマン3」は同時進行すら破綻していたが)
逆に、映画脚本の巧みさとは、複数の事件の進行の絡み具合、と分析することも出来る。
(推理物では、これが命となるだろう。一見ばらばらの手掛かりABCがある時に繋がりはじめ…、
などは良く出来たものには必ずあるだろう)

動きのシーン2だけをリストアップしてみよう。
それが話の骨格である。(「風魔の小次郎」1話でやった、動きの表のことである)
もしリライトの際、骨格の順番の入れ替えや足し引きがあったら、
新しいそれらの1と3はどこでなされているかをチェックしなおした方が良い。
以前はばらばらだったものをひとつに出来るかも知れないし、
以前ひとつにしていたものを、ばらばらにしなければいけないかも知れない。
外から脚本のリライトを要求する人は、骨格だけでリライトをしようとするが、
実際、ここが上手くないと、スムーズで面白い、グル―ヴのある流れが、
すぐに駄目になってしまう。
リライトという行為は、それを捨てて、新たなグル―ヴを、別の似た骨格から再執筆することだ。

今から書くシーンが、どの問題の、123どこに当たっているシーンか、意識しておこう。
そうすれば、今の焦点や、流れを意識した執筆が可能になる筈だ。


「マルホランドドライブ」という実験映画は、全シーン1の映画といってもよい。
そうは知らない我々は、ずっと23を求めるのだが、ついにそれは起こらない。
だが1の出来が恐ろしくよいので、ついつい見てしまう。
「エヴァンゲリオン」も1だけの物語だ。正確には23もついてくるが、3が次の1になり、
最終的には1だけの構造で終わってしまう。
どちらも大変残尿感ののこる物語であり、それがウリの映画である。
それが作者の意図かどうかは不明だが。

力点が1の物語を、一般に出落ちという。
前にも議論したように、書き手の最も書きたい瞬間は、「最後の2」であるべきだ。
その次の3がラストシーンだ。
その23のペアこそが、その映画の最大のハイライトになるように、全てを組んでいくのである。
posted by おおおかとしひこ at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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