僕は新幹線のCM、シンデレラエクスプレスに影響を受けてCMの門を叩いた人間だ。
ニコパチ(有名タレントがカメラ目線でニコリと商品を持つ)だけではなく、
ストーリーものがCMでも出来ると信じてこの道に入った人間である。
クレラップをはじめとして、ちょっとしたお話が世間の何かを救ったり、
動かしたり、影響するようなものを沢山つくってきたつもりだ。
それがどうも最近不調だ。才能の目減りもあるかもだが、どうもそれだけではない。
テレビCM全体が詰まらなくなってきた。
原因は、静止画的な内容の増加だと考える。
この脚本論ではくり返して書いているが、
ムービーの要素には、静止画的な要素と動きの要素のふたつがある。
そして静止画的な要素ほど素人がイメージしやすく、動きのイメージは玄人でも困難だ。
昨今のCMは、一枚絵でタレントがなにか芸をする、というものが多い。
一枚絵、というところがポイントだ。
僕が業界に入った17年前にくらべ、CMの決定機構はより多くの段階のハンコが必要になってきている。
つまり、決定に多くの人数が加わる。
多くの人間の決定は、ボトルネックが決める。
水道の流れを想像していただきたい。
どこかがコーラの瓶のようにくびれていたら、その一番細いところの勢いしか次には流れない。
最終的に届くものは、ボトルネックの流量に比例する。
内容で言うと、一番レベルの低い理解のことだ。
どんなに動きが面白い(=話として出来が良い)としても、誰か一人に理解されなかったら、
その時点で内容が却下される。
誰もが分りやすいのは、一コマで書かれたマンガのようなものだ。
内容的には浅いが、誤解のおそれもなく、読解力も、内容に深く入る考察も必要としない。
だからその範囲内の内容しか、多くの人数による決定では、決定できない。
一枚絵は、ムービーではない。
ある最初の状況に何かが起こって、別の状況になり、
最終的に別の状況に落ち着くのが、おはなしという動きである。
状況は最低みっつある。初期状況と、途中と、落ちだ。
(世阿弥はこれを序破急とそれぞれ呼んだ。もうひとつ状況を足せば起承転結である。)
おはなしは、最低みっつの状況、すなわち三枚絵を必要とする。
状況の「変化」がおはなしである。
変化しないものは、おはなしとは言わない。
(何度もあげる、「理想のアイドルと暮らす」話は、おはなしではない)
ちなみに二枚絵でおはなしになるだろうか。
最初の状況がある。何かがあって別の状況になった。おしまい。
で?
こうしようと思ったがこうなった、とか、こうしたいと思って頑張ったらその通りになった、
とか、おはなしには、必ず「途中」がある。
それが最終的にどうなったか、という最後の状況がきて、
それはこういうことだったのだ、とかこういうことじゃないか、という意味が定着する。
途中のない二枚絵は、おはなしではない。
動きの視覚化で試みたように、
状況が大きく変われば変わるほどダイナミックな物語である。
どんでん返しはその最たるものだ。
だが、状況の変化を、コンテという絵でかくのは困難である。
ダンスのふりの例を思い出せばよい。
紙に書けるのは、ダンスの静止画と、動きの矢印ぐらいのものだ。
そこから最終的なダンスの動きを想像しきれるものは、相当訓練を積んだ者だけである。
三枚絵を並べて、これがすごく面白い動きです、とプレゼンされて、
たしかにそうですね、と想像できる人間が、
映像を専門にする仕事以外の人でどのくらいいるだろうか。
バブル時代の宣伝部では、それの専門家がいた。
毎日映画を見たり本を読んだり、流行りをチェックしているだけの人達がいた。
その人のゴーサインだけでCMがつくれたりした。
しかし不景気を経た、現在の普通の会社の宣伝部や全てのハンコを押す部署で、
三枚絵から具体的な映画や映像を想像できる人間が、専門的に訓練されているとは思えない。
同じことが、映画でもおきている。
製作委員会方式がそれだ。
配給制作会社だけでは資金が回せないので、別のスポンサーを入れたり、銀行から資金を借りる。
彼らが動きや状況の変化を想像できる保証はない。
だから、彼らに分る範囲の企画書を書かざるを得ない。
三枚の絵をかいて、間を想像してくれ、という難易度の高いものより、
素人が一枚絵で分るものを選ぶのは明白だ。
そうやって、最近のCMは一枚絵のものばかりになり、
最近の映画やドラマは、人気俳優が勢ぞろいしている一枚絵のポスターのものばかりになる。
面白い物語は、このような絵作りではないことは、イコンのところで述べた。
にも関わらず、お金を出す人に分る一枚絵のほうが、幅を利かせている。
どうすれば状況が好転するのか、についてはもはや分らない。
どんなに面白いものを思いついたとしても、
よくわからんが君を信用するよ、という豪気な人に出会うか、
勉強しているお金を持つ人に出会うしかない気がする。
あとは、勝手につくってどこかにアップするかだ。
このブログも、実はそういう意図をちょっとだけ持ってはじめたものだ。
ということで、風魔2気にいった人いたらスポンサーになってください。
2013年10月03日
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