2013年10月04日

実践編「割れたせんべい」の分析

これまでの脚本論を、具体例で示そう。僕が2010年に書いた「割れたせんべい」を実例にあげる。
NHKのミニドラマで7分半だった。
短いので分析も楽だし、あらゆる要素を備えた、比較的完成度の高いものだからだ。

地デジ化する前で、地デジ移行推進プロジェクトの一環だった。
知識系やお願いとして広報するのは勿論だが、情緒的に訴えるパターンも欲しいとの要請で、
ドラマ形式で訴える方法が求められた。
当時の朝ドラは「ゲゲゲの女房」で、最初は視聴率が低迷したため、「主演の二人の夫婦もの」
という枠ありきで朝ドラをテコ入れしつつ、という条件で書いたものだ。
(実際、僕が監督してOAされた)
割れたせんべい撮影稿.pdf
シリーズ二本目で、
一本目は、「つぶれそうな煎餅屋を、妻の綾子がデジタルメニューをヒントに煎餅のメニューをつくり、
若いお客さんもやってくる」という話(作演出は後輩の洞内)だった。


夫婦喧嘩の話である。
最初の場面(発端)はケンカだ。最後(解決)は仲直りだ。
この話は夫婦がケンカして、仲直りする話である。
三枚絵でいうと、最初がケンカ、ラストが仲直り、間は父と娘のへんてこデートである。

「途中」はスペシャルワールドであり、別世界へ主人公綾子がいく。
この場合の別世界とは、実家へ戻り、父とデートして建設中のスカイツリー(今後の地デジ化の象徴)
へゆくまでである。
ここでの冒険の結果、綾子は元の日常(煎餅屋を夫婦で営む)へ戻り、
一段世界を進める方法を手に入れる。
冒険というほどではないけど、日常をベースにする人間ドラマでは、
「怒った妻が実家に帰ってしまう」はそれなりの大きな事件だ。

ファーストシーンがケンカであり、ラストシーンが同じ場所での仲直りである。
「ビフォーアフター型」とでもいうのだろうか、
同じ場所と同じ人物で変化前と変化後を示すのは、よくある手法であり、
変化を示すには使いやすい。
「煎餅屋の日常」という基幹部分を考えても、適切な選び方であろう。


ファーストシーンでは、ケンカという異物に綾子が出会う。
この異物除去が物語の目的(センタークエスチョン)であり、物語の推進力だ。
原因はこの場面では語られず、「謎」として引っ張ることになる。
ケンカした原因を伏せる事で、興味の推進力にしている。
短い話では、感情移入に至る前に話が終わってしまいがちなので、
感情移入と言うより、主人公がおちいった状況に興味を持たせる、という方法で引っ張った方がはやい。

つまり焦点は、初期には「ケンカは元に戻るのか」「そもそもケンカの原因は何か」からはじまる。
後者の原因が明かされたとき、第一の焦点「ケンカは元に戻るのか」が最後の焦点となる。
クライマックスである。


(我ながら)上手いのは、二人のケンカを、「煎餅が割れる」という象徴(イコン)にしたことだ。
煎餅を焼くのは二人の生活の糧であり、それを大事にするのは二人の絆の象徴だ。
これをケンカでうっかり割ってしまう。
これが問題の発端となり、イコンとなり、
「割れたせんべい」を捨てずに生まれ変わらせることが、
直接二人の仲直りを意味するように、小道具(イコン)として使うのだ。

だから解決は、商品名を「仲直り」とすることで、二人の絆の再生を象徴するようにしている。


綾子と祐一の二人の軸だけだと、ケンカはおさまらない。
大体、第三者が仲裁する。
これが父の源治である。お茶目なキャラクター、という設定で、
説教臭く辛気臭くならないように心がけた。
「デジタルやら今の最先端に詳しい」という設定が、スカイツリー建設への期待を語らせ、
これが情緒的に地デジ化への語りと重なるようにしている。
それが仲直りのきっかけ、「勝手にケータイで通話して中継する」というサプライズを呼ぶ。

二幕はスペシャルワールドでの冒険であるが、
具体的にはそこの住人と関わることが多い。
その人が二幕を引っ張る原動力とすると、話が進みやすいからだ。
だから二幕の冒頭は、新キャラの登場のことが多いのだ。


夫婦のケンカの原因は、「賢者の贈り物」のパターンだ。
お互い相手を思いやるがゆえに空回りしてしまっている。
このこじれは、本音を話す場を設けるだけでよい。
誰も傷つかない、誰も悪者にならない、すぐれた型だと思う。
嫌いになったり、本気の裏切りのある物語は、7分半では仲直りするまでは収まらない。
短いドラマには、短いドラマなりの方法論があるものだ。


綾子の「動き」を整理しよう。

・ケンカする
・せんべいを誤って割ってしまう
・実家に帰り、「綾子がいないと困る」と夫に言わせようとする (※第一ターニングポイント)
・父に東京観光につきあってくれ、と言われて、へんてこコースにつきあう
・どうしてケンカしたのかを聞かれて、本音を言う
・それを夫に聞かれていた。煎餅屋に帰ることに (※第二ターニングポイント)
・夫の真意を知り、互いが互いを思っていることがわかった
・「仲直り」と商品名をつける思いつきで、二人の仲直りを暗に提案する

この短いシナリオの中に、三幕構成が見て取れる。1枚が2分の標準形式で書いている為、
一幕:1分
二幕:5分
三幕:3分
計9分のバランスだ。(撮影後、編集でセリフを削ったりして7分半にしている)

一幕が短いのは、謎を引っ張ってはやめに父を登場させ、話の立ち上がりを早くするためだ。
第一ターニングポイントである「実家に帰る」というイベントは描かれず、
帰って来たあとからシーンをはじめている。オフにする、という手法である。
強い絵になるならオンでそのまま描くべきだが、
荷物をまとめて出ていくだけだし、そこまで強い絵になるとも思えなかったので、
綾子のあと説でその場面を想像させるにとどまっている。
この省略が、物語のテンポをあげている。
割れせんべいを説明しておくこと、それは昭和の古い機械だから、という
物語上必要な説明をするための時間の確保のためだ。
最初のケンカの緊張と原因という謎を振ったファーストシーンの直後、
緊張が緩んだ瞬間にすべてを設定しておいて、
ターニングポイント「父がデートに連れてってくれ」で再び物語は動きだす。

中盤を綾子が動かしてもよいが、ここは父の性格に任せた。
他人任せになってしまうので、綾子自身の物語とはいえなくなっているが、
頑固者の綾子の本音をうまく引き出し、賢者の贈り物のパターンにもっていくには、
「言わせる」のが一番はやい。
綾子が物語を主導すると、「二人のケンカが間違いだったと気づき、元の鞘に収まるために謝る」
という物語は時間がかかってしまうからだ。
他の人がうまく誘導する話が、短い物語では手っ取り早い。

ただそれでは、綾子が「動かされているだけ」の受動的主人公になってしまうため、
どこか能動的である必要がある。
綾子が本音を漏らす「一枚だって、割れてほしくない」というセリフの強さが、
ぎりぎりそれを補っていると言える。

短い話では、一気に解決するようなキレのよさが求められている。
長編でない以上、どうキレをつくるかは、短篇に課せられた使命でもある。
省略を使うことや、本音を言わせて中継する、という小技は、すべてそのためにあるのだ。
(ややご都合主義だが、父の性格でそれをあまり気づかせないようにしている)


劇的動機さえあれば、物語は自然に焦点を保ちながら自然に動いていく。
本人が行動する事がひとつ、それを理解した誰かが助け船を出すのがふたつ。
この話は後者のタイプだ。日本人的ではあるけどね。

綾子の動機は、「一枚だって割れてほしくないから、お金をためて新しい機械を買いたい」である。
一方、夫祐一の動機は、「結婚して一周年の新婚旅行のために、お金をためたい」である。
父源治の動機は「ケンカをおさめたいが、ついでに東京観光もしたい」である。
夫婦のすれちがう対立軸を、全く関係ない動機をもつ第三者が利用して、三方まるく収まる話にまとめる。
両立せずに対立する二軸を、第三の結論へアウフヘーベンするのは、全く関係ない第三の軸、
というパターンは、動的物語の基本形だ。
だから父源治は、どちらにも属さないクラウン(トリックスター)の役割である必要があるのである。

この話には動機をもつストーリーラインが三本(綾子、祐一、源治)あり、
大きなコンフリクトがひとつ(綾子と祐一のすれ違い)ある。
三本目の父のストーリーラインが、二軸の対立のコンフリクトを解決する、という構造である。


もう少し長い(15分ぐらい)話なら、源治の影響をうけて、綾子が何かの行動をし、
それに祐一がリアクションして話がこじれ、
最終的に割れせんべいを売る、というところに落ち着く、という二転三転がありえただろう。
ケンカの原因も、今回の分だけではなく積もり積もった不満に膨らませることも可能だ。
(浮気、というアイデアも初期稿にはあった)

さらに長い話(30分ぐらい)なら、もう少し登場人物を増やして、
二転三転に関わる人物を増やせる筈である。
源治の仲間、綾子の実家の周りの人々、
一方祐一の仲間や近所の人々、なじみのお客さん、煎餅屋業界の人々などだ。
あるいは、スカイツリーの工事の人なども絡んだりすることも出来たかもしれない。

そのような枝葉をうまく落として、基軸になるのは何か、それだけを残すことが、
短篇でも長編でも大事なことだ。
つまり、メインコンフリクトは何か、それは強いか、話を引っ張る焦点とは何か、
強い動機、ストーリーラインの整理、面白いターニングポイントなどを、
煮詰めて調整し「ひとつの作品として面白い形」として完成してゆくことである。


次回の実践編では、さらにリライトについて言及する。
今回の脚本は撮影稿であるが、第一稿から比較して、いくつかの稿について検討して見ようと思う。
それが、物語の構造を考える訓練になれば幸いである。
posted by おおおかとしひこ at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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