2013年10月18日

人間が同時に頭に浮かべられるのは、2.5まで

僕の経験則であるが、
おはなしの要素は、2.5に整理するとよい、という話。

静止画を並べ、一覧する平面の世界ではなく、
時間軸を持ち、目の前で「展開」する、物語という形式では、
見ている人が頭の中で同時に扱える要素は、2.5ではないか、と考える説だ。

たとえば、
敵/味方/それ以外
本命/対抗馬/私という三角関係
主人公/ライバル/それ以外
身内/お客/通行人
関係者/取り巻き/一般人
社会的立場(表の顔)/プライベート(裏の顔)/その他(お隣さんなどとの関係)
主音/リズム/和音
などだ。

「1、2、たくさん」と原始人の複数形が表現されるように、
ふたつまでは人間の頭の中で同時に扱うことが出来る。
三番目の要素は、最初のふたつほど鮮明に扱うことはできず、もやっとした描像になる。
それを、人間の頭の中では同時に2.5要素までしか扱えない、と表現してみた。


第一者/第二者/第三者、ととりあえずネーミングしてみよう。

第一者と第二者は、完全に頭の中で描くことが出来る。
それらが人間なら、立場の違い、容姿、目的、素性、
それまでの経緯、好きなこと嫌いなことなどを、
頭の中に「同時に」浮かべることが可能だ。
似ていること、違うことを比較することも頭の中で可能だ。
二者が対比的、対照的、対称的であればあるほど、比較する情報量はさらに豊かにすることが出来る。

これらふたつを頭の中で戦わせたり、葛藤させたり、会話させたり、
会ったらどのようなことが起こるか想像することができる。
(その想像が、物語を楽しむ原動力のひとつでもある)

第三者は、両者に比べて、完全には描けない。
フォーカスを合わせない背景だが、完全背景でもなく、そこに半分存在する。
これが、第一者と第二者との関係の、不安定要素になる。
第三者の存在で、三者の間に、動的緊張が起こりやすくなるのだ。
(風魔の例であげると、風魔/夜叉/陽炎だ)
物語とは、これらの関係が、何かのきっかけで変わりだし、別の関係に至ることである。

分りやすく音楽の例をあげると、
主音/リズム/和音がその三者だとしよう。
主旋律とリズムを同時に聞き、ベースや和音の要素は意識下で聞いている。
それが転調する。
リズムが転調すれば、リズムが第一者になり、主音は第二者になることもあるだろう。
リズムとベース(和音)がメインになり、主旋律が後退するパートになったりもする。
三者の配合、関係は様々に変化する。それが音楽と言う時間軸を持つ流れだ。

第一者、第二者を同時に集中して聞くことは可能でも、
第三者に他ふたつほどの認識力、記憶力、想像力をこらすことは無理だろう。
もちろんあなたが音楽のプロだったり、何度も聞いた音楽ならその限りではないが、
基本的には、素人の初見が、映画でも音楽でも前提である。

これに、第四要素のボーカルが加わるとどうなるだろう。
その場合、どれかが落ちて、結局三要素で聞かれることになる。
ボーカル/主音/リズムのように。
人によっては、
歌詞/メロディ/リズムのように聞くこともあるだろう。
AKB48好きなら、大島のボーカル/ぱるるのボーカル/その他で聞いてるかもしれない。
どちらにせよ、みっつに同時に集中することは不可能だろう。
どれかが疎かになる。


物語の要素は、同時に2.5にするのがよい。
対立や対比が映画の原則パターンであるのは、おそらくこれが理由だ。
ふたつの陣営があったとしても、第三要素がうすく必ずある(トリックスターなど)のも、
おそらくこれが理由だ。
三角関係でも、男1と女の関係、男2と女の関係は濃く描かれても、
男1と男2の関係は、二者ほど濃く描かれない。これは2.5の関係性、と考えてよいのではないか。
昔から三角関係は二辺しかないと直感的に思っていたが、それはこういうことなのではないかと思う。
三国志でも、魏と蜀はキャラが立っているが、呉はそうでもない気がする。
三すくみは2.5の原則に反する。どれかが疎かになるだろうと予言してみる。
グーチョキパーを、おそらく等確率で出し続けられる人はいないと考える。
横綱決定戦の時、まれに三すくみの関係になるが、「巴戦」と呼ばれる決着の付け方を、
頭の中でちゃんと想像するのは意外に難しい(図をかいてはじめてわかる)。

物語構造全体で2.5であるだけでなく、
場面場面でも2.5であると分りやすいだろう。
登場人物が三人である、という意味ではない。
何人いても、2.5のグループに分けて認識される、ということだ。
5人なら2/2/1などだ。
それが文脈に応じて3/1/1になることもある。それが変化であり、展開である。


登場人物だけでなく、あらゆる要素を2.5にすると、劇中の複雑な要素をまとめられるのはないだろうか。
場所、原因、理由、錯綜するストーリーライン、複数の意図。
あるいは、複雑な状況だったものが一気に分りやすくなる瞬間とは、2.5にまとまった時ではないか。

ちなみに、動画を止めて静止画にしてしまえば、数えることが出来るから、
10でも20でも要素を増やすことが出来るだろう。
一覧や図式は、流れの中では整理できないものを、いったん止めて数える方法でもある。


ちなみに、「女子が複数の個所を同時愛撫されているとしたら、
ちゃんと認識できるのは二か所であり、三か所目は他大体、と認識されるのではないか」
と会社の女子に聞いてみたが、答えは得られなかった。(苦笑)


あなたの脚本が複雑だ、と言われた時、
頭の中にどのくらいの要素を一度に想像すれば話が分ったことになるか、
リストアップしてみよう。
3以上はアウトだ。2.5に、整理してみてはどうだろう。
posted by おおおかとしひこ at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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