新作脚本を書いている。
いつもはプロットだけだが、行けそうなので、脚本の形にブレイクダウンしている。
他人に見てもらうことは大事だ。
他人は、自分の弱点をうつす鏡だ。
読解力の優れた他人ほど、いちばん痛いところをつく。
ただその言葉は、脚本家にとっての言葉ではなく、
視聴者や職業柄の言葉であることが多い。
それを自分の言葉に直して噛み砕くのが、結構難しい。
今回の第一稿では、面白いが今の時代これでは弱いのでは、
と言われた。どういうことかしばらく考え、
「テーマを太くする」という基本に戻ってきた。
テーマが細い太いという言い方を、
一般的にはしないかもしれないが、
あなたが書く人間なら何となく分かるかも知れない。
細いテーマとは、針の糸を通すような、繊細なガラス細工のようなものだ。
たとえ脚本上のギャグや仕掛けやキャラクターやビジュアル設計が良くとも、
そのテーマだけでは、全員の心を震わせるに足らないものを言う。
今回は善悪ものを書いているのだが、
従来の善悪の形におさまらないものを、ヒーローものの枠組みに嵌めるような
企画性である。
ここが細いと言われているのだな、という分析に至った。
そのパロディの面白さを理解する人は、全員ではないからだ。
ヒーローものの枠組みにするならば、
悪はやはり悪として描き、善は善としないと、
一枚膜をはさんだようになってしまう。
このテーマを太くするなら、
パロディ的な構造内で、善悪を善悪として描きつつ、
なおかつ従来の善悪でないものをモチーフにする、
という融合を果たす必要がある。
新しい悪と、新しい善の間に、ヒーローものの形式を適用する、
しかも本気で。
そういう風に考えることにした。
皆が本気でこのテーマに熱狂するとはどういうことか、
なぜこの新しい悪と善に本気で惹かれるのか、
ということを考えることにした。
細いテーマでは、
一部の人や理解出来る人だけが、ニヤニヤして楽しめばよい。
いい話だったり、ちょっと深い話なら万全だ。
ネットのどこかで語り継がれても、いずれ忘れ去られる。
太いテーマとは、
多くの人が熱狂し、夢中になり、自分に置き換えて考えたり、
爆笑したり号泣したり、凄くいい話だったり、
今まで聞いた話の中で最も深い話に匹敵するくらい、深い話である必要がある。
それは、多くの人間の集合的無意識に触れるということだ。
ネットどころか、リアル口コミに上り、渦が生まれ、
その渦が大きくなるようなものが中心にあるということだ。
その渦は多くの人を巻き込み、巻き込まれていた間の記憶は一生残る。
僕の代表作、風魔では、最後まで見た人なら必ずそうなっていると思うが、
かの作品は、最初に見た人が少なかった。渦は確かにあったが、知られていなかった。
今狙っているものは、もっと大きな渦を起こそうとしている。
ならば、少なくとも風魔レベル、出来るならもっと太いテーマ、
もっと深いテーマが、渦の中心になくてはならないのだ。
太いテーマを書こう。
細いテーマは商売にならない。一人でコツコツやるには楽しい。
だがそれは、太いテーマが書けない逃げでもある。
マーケティングで細分化され過ぎて先ぼそったエンターテイメント業界は、
ますます先細り、コストを削減し、小さなパイになる悪循環だ。
再興するなら、太いテーマしかない。
太いテーマは、見る人全員を巻き込める。
そのように再構築せよ。
誰もがこのテーマについて語れるような、シンプルな形で提示してみよ。
それは手垢のついていない新鮮なもので、
全く知らなくて理解出来ないものでもなく、
なおかつ既に皆の頭のなかにうすうすあったが、
名前のついていないもののことだ。
どれだけそれをシンプルにキャッチーにまとめられるかが、
テーマを太くするということだ。
いまや観客は、日本人だけではない。
自分の中から思いついたテーマの芽を、
世界中の人がこれについて議論出来るような、太いテーマに仕立てよう。
それが上手くいったのなら、次の段階、つまり製作に進めるかも知れない。
2013年10月25日
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