2013年10月27日

言うと書くのちがい

我々脚本家にとって、書くことは言うことと、
微視的にはあまり大差がない。
頭のなかで生まれた考えやことばを、
誰かに言うか、書くかだけの違いだ。

しかし両者には根本的な差がある。
首尾一貫性、とでも名づけるようなものが。


話したり言うことに、厳密な首尾一貫性はなくても構わない。
その場の言い間違いや勘違い、ミス、思い違いなどはよくある。
だから人は会話でこれを埋めていく。
足りないところをフォローし、アドリブでその先を探す。

「お喋りを録音して台本形式にする」という課題を
やってみたことがあるだろうか。
喫茶店での15分や30分の会話を録音し、
文字起こしをしてみるといい。

驚くほど、我々が普段脚本で書くセリフと違って、
間違ってたり、支離滅裂であったり、
途中で論旨が変わったり、言いたいことがなかったり、
同意を求めるだけだったり、感嘆詞や言い淀みが多かったり、
語彙が貧弱だったり、あれなんだっけが多かったり、
動物的反応が多かったり、
ターニングポイントがなく話題が変わったり、
特に焦点を決めず話していたり、
言いたいことをお互い言ってるだけで話が噛み合っていなかったり、
文脈がぼろぼろだったりすることに気づくだろう。

会話の殆どは、脚本的には無駄なセリフだ。
言うことは、そこまで無責任でよいのだ。
ある程度大事な場面、政治家の発言や公式の場での発言、
夫婦や恋人が何かを決めること、会社の重要会議などでは、
言うことに責任が伴ってくる。

書くことは、これに近い。
言文一致ではなく、内容の話である。

書く経験をしている人なら、ある塊の文章が、
あるテーマに沿って並べられていなければならないのは常識である。
つまり、その塊は、テーマと同じタイトルがつけられてもよいのだ。
(よいタイトルは、テーマを暗示させるものだ)
当然、論旨がある。
前提があり、展開があり、テーマに関係する(裏や傍証としての)サブテーマがある。
反例や過去の例も視野に入れつつ、結論にいたる。

その流れに関係ないものは書かない。
テーマが途中で変わることはない。
全てはある方向に、秩序だって並べてあり、
論旨は順に展開し、順接として結論にいたる。

これを文章の首尾一貫性とでもしよう。

当たり前だが、これに最適化されていない、
論文、エッセイ、説明、本、公式発言などは、
支離滅裂や無駄が多い、との謗りを受けて当然である。


脚本とは、書かれるものであり、言われるものである。
つまりは、その同時性こそが脚本の特徴なのだ。

書かれるものであるからには、
作者のテーマがあり、展開があり、サブテーマがある。
全ては無駄のない構造であり、下調べはしっかりしている必要がある。

言われるものであるからには、ノリやリアリティーが必要だ。
無駄はあるし、感嘆詞も多い。感情の確認をし、アイコンタクトもある。
文章でそんなことを書いても、現実には言わないことや、
現実にありそうにない展開は、あり得ないのだ。
あり得そうなリアリティー溢れる展開だけが、
気持ちよく物語を見る最低限のノリだ。
そして、リアルな肉体と文脈を持つ、真実のセリフや芝居だけが、
人の心を打つのだ。


だから、脚本は難しい。

リアルでありながら、
書かれるもののような首尾一貫性を持っていなければならないのだ。
それでいて、新味のある発明的アイデアがなくてはならない。


「恋の渦」を例にあげると、言うに関しては恐ろしくリアリティーがある。
無名の役者や、役者ですらない若者を使い、
若者の性生活のリアリティーへ肉迫する。
一方、書かれたものとしては、無駄だらけだ。
テーマは中心になく、サブテーマはメインテーマを補強せず、
三幕構造もなく、ラストのどんでんはまああるが、それがテーマを決定しない。
スナック菓子のように、口当たりはよくオイシイのだが、
食べた気のしない読後感は、言うに片寄り書くが足りないことから起こっている。
動物たちが吠えている動物園としては良く出来ているが、
それが何の意味があるかという、知性が足りない。
ちんこまんこの話なんだから、知性なんてどうでもいいんだよ、
という一種のつきぬけが、居直りになっている。

逆の例は、なんかあったかなあ。
鴻上尚史監督作品「恋愛戯曲 私と恋に落ちて下さい」かなあ。
コメディだから、という理由で、リアリティーから逃げている気がする。
本当にこういう作家がいたら、という感じがない。
展開にも無理がある。頭のなかで考えた話のようで、
リアルな肉体を持ったお話ではなかった。
クドカンの「真夜中の弥次さん喜多さん」もそうだったか。
演劇系の映画化は、そういう傾向が強い気がする。
舞台は、舞台装置という言葉どおり、
頭の中の妄想の現実化を、リアルな肉体と場所を使う映画より、
リアルを捨ててやりやすい場所かも知れない。


言うと書くは違う。
しかし、脚本の中では、両立させなければならない。
posted by おおおかとしひこ at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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