2013年10月28日

設定は、動的にせよ

人物設定に初心者がありがちなこと。
身長体重年齢性別、見た目を決める。
髪型や色、メガネやコンタクト、
服のブランドやサイズや着こなしやそのリスト、
持っているアイテムやギア、好きなもの嫌いなもの、
家族構成、癖、口癖、性格、自分を俺と呼ぶか僕と呼ぶか。
細かく設定すればするほど、
キャラがいきいきと動くものだという先入観がある。

このような設定は、何の役にも立たない。
何故なら、静止画的要素でしかないからだ。
設定は、動的に行わなくてはならない。

静止画的設定とは、
写真や履歴書におさめられるもののことだ。
スペック、というスラングもある。
これらをいくら羅列しても、
キャラが勝手にいきいきと動き出すことはない。
(絵をかくときの参考にはなるだろうが)

動的な設定とは、動きを予感させるようにする。

本当はこうしたいのだが今は出来ていない(劇中でそのチャンスが来れば必ず動く)、
激しく後悔していることがある(劇中でそれに触れて、変化を余儀なくされる)、
誰にも言えない秘密があり、知られたら今の社会的立場が悪くなる
(劇中でそれが暴露され、転落してゆく)、
などである。
(最後の例だと、手塚の「アドルフに告ぐ」がそうだ。
ヒトラーがユダヤ人であるという秘密を巡って、
関わる人達の人生が二転三転する)

あるいは、物語登場時に既に動いている途中、
という動的な設定もある。
婚約者のためにこの国にきて、一週間後に結婚式、
辞表を出しにいくエレベーターに偶然乗ったが、地震で止まる、
今夜殺人計画を実行しようとしている、
などだ。

このように人物を、動機や行動の途中として設定するのである。

物語とは動きである。
複数の人間の動きが入り乱れ、
互いに影響をあたえあう軌跡である。
それらの人物の初期値に、既に動きが内蔵されていると、
物語の初登場から動き出してくれる。
動機や行動を持って物語に参加するからだ。
今の焦点のことをこの人物が知れば、
何かしらの感情的反応、同意や反発を必ずする。
それが行動の源になる。

職業や家族内の立場を決めるのは、
これらほどではないが有効だ。
刑事ならオフの日でも強盗を見たら追いかけるだろうし、
子育てを経験した母なら、道端の捨て子を放っておけないだろう。
黙ってもその規範通りに行動するのは、
半ば習慣や仕事の一環である。

これは、本心の行動とは限らない。
これを社会的行動ということにしよう。

これとは関係ない、私的な動機や行動もある。
社会的行動と、私的行動が、違うとき、矛盾するとき、
そこはドラマの生まれる場所になりえる。


静止画的設定では、一生そのようなドラマは書けない。
顔が芸能人の誰に似てるとか、ファッションセンスがいいとか、
それがドラマのきっかけにならない限り、
(その芸能人と間違われてテレビに出る事件になるとか、
ファッションショーを手伝わされる羽目になるとか)
その設定は必要のないものだ。


よい写真とは、動いていないのに動きを想像させるものをいう。
その写った瞬間の過去を想像させたり、その先にあることを想像させたり。
設定も、そのようにするべきである。

物語はスペックの羅列ではない。
初期のベクトルが、他人とぶつかり合って変化していくことだ。
その最初のベクトルか、内に秘めたベクトルを、設定しよう。
そしてそれをドラマ内で明らかにし、他人と競合させよう。

そのために、動的な設定をするのである。


ロバート・アルトマンは、人物設定をするとき、
その人が一番恐れることを、真ん中に設定するそうである。
全ての行動や発言は、それを悟られないための虚勢として現れるのだ。
人間の本質に迫る、秀逸な方法論だ。

人物の年表を書くのも、その人物の持つ望みやタブーやトラウマを創作するのに
ポピュラーな方法だ。


萩本欽一が、入門を申し出る若者にする、テストの話。
「小便を我慢する芝居で笑わせてみろ」という課題だ。
殆どの若手コメディアンは、苦しい顔や動作で笑わせようとする。
膀胱を押さえ、なるべくゆっくり動いたりだ。
欽ちゃんは、それはコメディではないと、厳しく怒る。
正解はこうだ。
何一つ顔色を変えずに、早足で歩く。
しかし何かを隠してるように、ばれないように、内心慌てて。
トイレのドアを開けた瞬間、取り乱してチャックを開け、間に合ったーという。
そのギャップで笑わせるのだ。
小便を我慢しているのをアピールする人は世の中にいない。
しかし、内側では漏れそうなのだ。
それをばれないように、わざとすまし顔をするのだ。
人間には内向きの事情と外向きの顔があり、
その違いが笑いを生むのだ、と教える。
天才萩本欽一、ただ者ではない観察眼である。


このような物語性は、静止画的設定からは、一生生まれない。
動的な設定を、人物にしよう。
posted by おおおかとしひこ at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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