プロットを考えているときと、実際に脚本を書くときは、
登場人物のリアリティーに差がある。
前者は頭の中で考えた、役割と行動の抽象に過ぎず、
後者は、具体的な人間として生き生きとしなければ魅力がない。
プロットが大体出来たら、人物に血肉を与えよう。
リアルな感情、リアルな事情、感情移入したり共感する人物像は、
どうすればつくれるか。
キーワードは、点でなく線、だ。
漫画やアニメやゲームよりも、
実写に要求されるリアリティーは過酷だ。
キャラだから、と言って済ませることは実写には出来ない。
履き違えた脚本家が、漫画原作のキャラをそのまま実写に存在させてしまう。
あとは役者が演じるから大丈夫だと。キャラだからと。
それでは駄目だ。
脚本の中にリアリティーがないと、役者は演ずることすら出来ない。
その1 衣食住を線で想像する:
三食食べるごはんは、何が好きか。一人で食べるのか、誰かと食べるのか。
これらを点でなく、線で想像する。
嫌いだったけど好きになった食べ物、
こないだは適当にすませたけど、こんどはちゃんと食事したい、
はじめて飲んだ酒、以前の食習慣と最近との違い、
何時頃に食べるのか、最近よく一緒に食べる人、
いい食事の思い出や嫌な思い出、どんな会話をするのか、してきたか、
など。
点でなく、過去と現在を比較しながら想像する。
食事を想像するためには、一日の生活ルーチンを想像しなければならず、
彼または彼女にとっての「日常」の概念とはどのようなものかを
想像しなければならない。
それが、現在に至る何年間、何ヵ月、何日かの間でどう変化してきたかを考える。
人物は点でなく、線である。
それまでの軌跡が、何かと出会って次の軌跡を生むのだ。
食が分かりやすいのは、その人の素がでるからだ。
風魔の例で言えば、
漫画の中で闘うだけのキャラが、食卓を囲むだけで衝撃的だった。
こいつら飯くうのか! そりゃそうだ、人間だもの。
そう、その感覚が、頭で考えた想像に、血肉を与える。
衣服も同じである。
実写では、番手といって、作品内の日付が変われば服を変えるのは当たり前だ。
夜シーンの寝間着も含め、「何番(何着ぶん)用意する」などと言う。
漫画やアニメでは、キャラは服ごとアイデンティティーになるので、
滅多に服を変えない。その約束事を破るには、一週間の着回しを想像すればよい。
昨日と同じ服を着ているのは、現実では特殊なとき(お泊まりしたとき、徹夜あけとか)だ。
基本下着は変えるだろう。
靴やボトムは着回してもいいだろう。
どんな服を持ってるか、最近のお気に入り、古着はどうしてるか、
昔気に入ってたが最近着ない服。
或いは洗濯はどうしてるか。
リアルにこの人がいたらどうしているかを考える。
これも点でなく線で想像する。
服にまつわる過去の嫌なことや良かったことを想像してもいい。
住に関しても同じである。
部屋を想像するのはまだ点の思考だ。
その部屋がどういう変遷をしてきたか、線で考えるとよい。
引っ越しの経験、故郷、転々としているなら、それらの記憶、線で想像する。
その2 名前のリアリティー:
名前の一覧は、実は重要なリアリティーを持つ。
試しに、以下の一覧を書いてみたまえ。
・飛行機事故の死亡者10名
・とある殺人事件の関係者10名
・あるビジュアルバンドのメンバーの本名5名
・ある会社の忘年会参加者の10名
・野球部レギュラー9名
これらにリアリティーを持たせるような、名前一覧を書けるだろうか。
試しに書いてみて、現実の名前一覧と見比べてみよう。
現実が、いかに想像と違って、
適当で、乱暴で、ぶっきらぼうで、野卑で、整理されていなく、でこぼこか。
そのリアリティーの感覚を、自分の中に常に持とう。
これはつくりごとではない、現実である、という感覚を持つための訓練である。
現実には、漫画的な姓、たとえば冴草や月影や一文字や伊集院や白鳥は、
滅多にいない。
(僕の姓である大岡も、滅多にいない。有名人である大岡信、大岡昇以外の
実在の人は、今まで三人しか親戚以外で会ったことない)
宝塚劇団15人の、芸名と本名の一覧を考えてみよう。
それが、漫画やアニメのリアリティーと、実写のリアリティーの差だと言っても良い。
(最近はDQNネームの氾濫で、今後それがどうなっていくかは予断を許さぬ所ではある)
芸名ではトイレも行かないし、部屋は宮殿で、いい匂いがするだろう。
それが本名になった瞬間、醜い部分や獣臭い部分、身勝手な部分や逆に他人をかばう
リアルな成分が出てくるはずだ。
(むしろ昨今のアイドルの方が、そのへんのリアリティーをちょいちょい出してくる)
登場人物名一覧は、「その物語が、どのあたりのリアリティーを狙っているのか」
という指標になる。
あまりにも現実離れしている(漫画っぽい)一覧なら、
それを現実方向へ修正すべきだ。
それが出来るのは、脚本家だけだ。
これは原作つきでも原則同じである。
原作のリアリティーの位相を、現実のどの辺に帰着させるかという狙いは、
映画独自のキャラクター名である程度判断出来る。
それが現実的血肉を結ばないのなら、それは実写化としてつまらないのだ。
(カークランド博士とか)
その3 動的な動機:
これについては以前書いた。
その世界のリアリティーが、その1や2で構築されていけばいくほど、
動的動機についてのリアリティーや、彼または彼女の願望や望みが、
いかにその世界に対して浮き足立っているか、
などの距離感が分かってくる。
その4 癖や外見:
これがどれほど意味をなさないかについては、再び議論はしない。
所詮点であり線でないからだ。
線のもの、たとえば昔デブだったけどダイエットして痩せた、
関西出身だが東京に来てから言葉を矯正した、などの設定はありえる。
(それが物語へのノイズとなるなら、必要ない)
その5 年表やバックストーリー:
脚本の入門書によくあるものである。
これも、結局は点でなく線(長いスパンの時間軸)で人物を創作せよ、
ということを言っている。
人物の過去や最近に、感情移入や共感に足るエピソードを創作してみよう。
その6 切実さ:
動機やバックストーリーに絡むことでもあるが、
それがどれほど切実かについて、リアルに考えることが大事だ。
切実だからといっても、人はチャンスを与えても何もしないこともある。
人を動かすのは、締め切りである。
なんとなく思っていたことですら、その瞬間切実になる。
そこをきっかけに、切実さがどんどん溢れてくるものだ。
それはその時点でなく、昔からその人物が無意識に思っていたことと関係がある筈だ。
それは自分のことを考えても、他人の話を聞いていてもわかるだろう。
そのあたりをリアルに考えていこう。
その7 周囲の人間関係:
人間は一人でなく、集団で生きる。
周りの人間とどう関わっているかを、これまた点(現在の状態)でなく、
線(過去から現在に至る変遷)で構築する。
物語内に登場する人物だけに限らず、登場しない人まで含めること。
その人の「世界」を点でなく線で構築する。
その8 具体的なエピソードのリアリティ:
他の人との間にあった具体的なエピソードは、なるべくリアルなほうがいい。
思いつきだと、たいてい嘘くさくなる。
自分の経験や、他人の話など、それってリアルだなあ、と思える小話をたくさん蓄積しておこう。
描くジャンルが未知の場合、取材も大事だ。
そこに生きる人物としてのリアル、
特殊な世界の筈なのに僕らと共通する人間臭いエピソードを持つ、
などは、創作の醍醐味である。
しかし難しいことを考えなくて良い。
ここで大事なのは、彼らも人間なのだ、と思えるごく普通のことを考えればよいのである。
その9 公と私:
「東京弁でしゃべってる子が、故郷の友達から電話がかかってきた瞬間地元の言葉になる」
のは、みんな好きだよね?
「社内でつきあっていて、それがばれないように普通にしゃべっているが、
ついつい社内で二人でいると恋人モードに入りそうになる」なんてシチュエーションも好きだよね?
極端な例はそこういうことだ。
他人にみせる公の自分と、プライベートでしかみせない私の自分のギャップを考える。
最近の若いのは、場所によって使い分けたりと、人格が分裂している面もあるが、
すくなくとも公私の別を考えることは、その人物の深い理解に不可欠である。
同じことが起こっても、仕事の場合と家や旧友の前では態度や考え方やリアクションが違う。
これも線で考えるとよい。
かつてはこうだったが、今は違う、のように。
風魔でいえば、霧風の、「かつては小次郎のような無邪気な男だったが、
自分のミスで竜魔の右目を失ってからは、他人の前では厳しく感情をみせない男になった」
などの例はそのようなものだ。
それが6話のラスト、無言で霧を出して一瞬の本音を見せるからドラマになるのだ。
公的な動機と私的な動機。これのギャップを考えよう。
点で考えても深くなるし、線で考えれば更に深くなる。
以上のようなものは、全ての人物で全員必須かどうかはわからない。
主役や周囲の重要人物だけでよいかも知れない。
(あまり複雑に考えると、自分でも把握しきれなくなるし)
ただこのように血肉を与えようとした人物は、
間違いなくキャラが立ってくる。
立ちはじめれば、勝手に話し始めたり、動いたりしはじめる。
映画だけではもの足りず、長編ドラマや大河小説に出口を求めるかも知れない。
それはそれで書き手として幸せだ。
よく出来た長編漫画は、たいていそのようなキャラが10人20人と、映画より多く登場する。
(ベルセルク、ワンピース、鋼の錬金術師などなど)
映画は、僕の理論によれば、主要人物は5、6人だ。
おそらく、それぐらいまでが、実写的リアリティーの限界人数なのではないかと思う。
2013年11月06日
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