女性の書く脚本にありがちなことで、
最近の仮面ライダーにもありがちなこと。
それは、空間の定位が甘いことだ。
その登場人物が、普段どこで寝泊まりし、普段どこにいるかを決めることだ。
ケータイなどの普及によって、現実世界で場所が意味を持たなくなっても、
場所の情報は物語に重要である。
頭の中の想像に、場所が生まれないと、人物をうまく定位できなくなる。
定位出来れば、そこをベースに物語世界にうまく入りやすい。
定位出来ないと、ずっと不安なままだ。
(ロードムービーはこれを狙うものだが、これすら、出発した場所の設定がないと不安になる)
仮面ライダーでは、
ショッカーの基地、おやっさんの喫茶店、毎回事件の舞台になる場所、
このみっつが必ずあり、
その不変の場所から見て、今どこか、を我々は脳内の地図に構築していた。
(基地は謎の場所であるが、それは移動することなく、必ず同じ場所にある設定なので、
それは脳内で場所として確固たる場所になりえる)
最近のライダーはそれがあいまいになり、どこでこれが起こっているのか分りにくく、
主人公サイドと敵サイドという分りやすい構図を捨てて、常に不安定である。
(最新は、見てないけど)
登場人物が普段どこにいるか、普段どこで寝泊まりしているかを、
作者の中でだけでも設定しておくことは、非常に大事である。
人は、場所とともに記憶されるからだ。
ふらりと現れるのは、物語内で一人でよい。
それ以外の人物は、必ずいつもいるところが確定していなければならない。
物語上そこにいつもいなくてもよい。
出かけてるとか、臨時にホテル泊とか、旅の途中とか、文脈に応じて場所の移動はあるが、
問題は、「その人のホームポジションを確定すること」である。
(だからこそ、どこからかやって来るヒーローに意味があったりする。
ふらりと現れる者は、空間的に縛られている他の一般人とは違うことが、
場所の定位をしておくかどうかだけで描き分けられるのだ)
人物のリアリティも、そうやって構築していける。
人はホームでは尊大で自信あふれ、アウェイでは慎重に弱気になるものだ。
女性脚本家の描く人物像には、場所の人、という定位が貧弱なことが多い。
地図を読めない能力と関係ある気がする。
我々の中の頭の想像で、その人がどこをホームとしておくかが、描けなくなる。
その定位がうまくいかないと、いつまで経っても初期設定が描けない。
本来ここの人間なのだが、今はここに仕事で来ている、などという文脈を、
きちんと書けるようになろう。
セリフだけでなく、それを頭の中で描像出来るような書き方をしよう。
それは、全ての主要登場人物に言えることだ。
2013年11月06日
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