2013年11月06日

空間の定位

女性の書く脚本にありがちなことで、
最近の仮面ライダーにもありがちなこと。
それは、空間の定位が甘いことだ。
その登場人物が、普段どこで寝泊まりし、普段どこにいるかを決めることだ。

ケータイなどの普及によって、現実世界で場所が意味を持たなくなっても、
場所の情報は物語に重要である。
頭の中の想像に、場所が生まれないと、人物をうまく定位できなくなる。
定位出来れば、そこをベースに物語世界にうまく入りやすい。
定位出来ないと、ずっと不安なままだ。
(ロードムービーはこれを狙うものだが、これすら、出発した場所の設定がないと不安になる)

仮面ライダーでは、
ショッカーの基地、おやっさんの喫茶店、毎回事件の舞台になる場所、
このみっつが必ずあり、
その不変の場所から見て、今どこか、を我々は脳内の地図に構築していた。
(基地は謎の場所であるが、それは移動することなく、必ず同じ場所にある設定なので、
それは脳内で場所として確固たる場所になりえる)
最近のライダーはそれがあいまいになり、どこでこれが起こっているのか分りにくく、
主人公サイドと敵サイドという分りやすい構図を捨てて、常に不安定である。
(最新は、見てないけど)

登場人物が普段どこにいるか、普段どこで寝泊まりしているかを、
作者の中でだけでも設定しておくことは、非常に大事である。
人は、場所とともに記憶されるからだ。

ふらりと現れるのは、物語内で一人でよい。
それ以外の人物は、必ずいつもいるところが確定していなければならない。
物語上そこにいつもいなくてもよい。
出かけてるとか、臨時にホテル泊とか、旅の途中とか、文脈に応じて場所の移動はあるが、
問題は、「その人のホームポジションを確定すること」である。
(だからこそ、どこからかやって来るヒーローに意味があったりする。
ふらりと現れる者は、空間的に縛られている他の一般人とは違うことが、
場所の定位をしておくかどうかだけで描き分けられるのだ)
人物のリアリティも、そうやって構築していける。
人はホームでは尊大で自信あふれ、アウェイでは慎重に弱気になるものだ。


女性脚本家の描く人物像には、場所の人、という定位が貧弱なことが多い。
地図を読めない能力と関係ある気がする。
我々の中の頭の想像で、その人がどこをホームとしておくかが、描けなくなる。
その定位がうまくいかないと、いつまで経っても初期設定が描けない。

本来ここの人間なのだが、今はここに仕事で来ている、などという文脈を、
きちんと書けるようになろう。
セリフだけでなく、それを頭の中で描像出来るような書き方をしよう。
それは、全ての主要登場人物に言えることだ。
posted by おおおかとしひこ at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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