2013年11月09日

ストーリーの生まれかた

矛盾も含み、雑多で方向性もない現実のお喋りの中から、
ストーリーは立ち上がる。
それはいつか。

始まりと終わりを持ったときだ。


お喋りの最初は、
いまある周りの現状について話す。部長はどういう人なのか、
彼氏は、あの子は、あの場所は、などの、ディテールや本質を話す。
つまり描写である。喋る人によって違う情報を重ね、全体像を作り上げる。
これは獲物や狩場や狩りメンバーについて情報交換する、
原始時代から行われていることだろう。

そこへニュースが現れる。
日常を把握し終わったら、
新しいことや珍しいことなど、現状が変化したことを話す。
誰それがどうなった、○○がなくなった、など、現状の変化についてでもよい。
それは新規性が高いほど、インパクトや驚きが強いほど、
みんな飛びつく。

しかしそれは、過去と現在の差分を埋める行為であるとも言える。
これが、始まりと終わり、すなわち顛末を持つと、独立した話になる。

殺人の動機と実行と逮捕、
引っ越してから起こった事件が解決するまで、
狩場の主をいかに倒したか、
あのカップルが付き合ってから別れるまで、
などだ。

この世界はどうやって出来たか、という民族神話は、
神の始まりから、オチが現在の世界、という、始まりと終わりを持った話である。


始まりと終わりを持つと、そこに理屈の糸が通るようになる。
殺人には動機やそれがどう発覚してどう裁かれたか、という理屈があるし、
起こった事件と解決法には因果関係があるし、
カップルの付き合う理由と別れた理由がないと納得いかないし、
怪物の主を倒せた理由を知りたくなる。

あることが起こり、終わると、
どうはじまり、何故終わったのかを、
どうやら人間は知らないでは済まされない生き物のようだ。

知っている人が亡くなったニュースを聞くと、
死因を聞きたくなる。
何故死んだのか理解し、その人の始まりと終わりを理解したくなる。
その人の人生を、納得したくなる。

逆にその理屈の糸こそが、お話の正体ではないか。

始まりと終わりと、理屈。
主人公とか動機とか動きとかターニングポイントとか三幕構成とか、
そんな細かいこと以前に、
このみっつが、アプリオリに存在することを知ろう。

始まりはニュース的に。インパクト、驚き、新規性。
終わりは終わる理由がある。解決やケリがつく。納得いく。
何故始まって、どう解決したか、ケリがついた理由とは。

これがお話の本質であると思う。

逆に、
始まりに興味が持てない、
終わりに納得いかない、
理屈が途中でおかしくなったり矛盾がある、
これらの欠点をもつお話は、ストーリーに値しない。


雑多で方向性も矛盾もあるお喋りは、いつお話になるか。
ある方向に材料が選ばれ矛盾ない理屈が通ったときだ。
それが発端を持ち完結したときだ。

遺伝子のスープから生命が発生するように、
お喋りの混沌の海から、お話という秩序が生まれる。
始まりと終わりと理屈の糸という肉体を持って。
永遠に消えてしまうお喋りの混沌から、
忘れなければ語り継がれる、
ストーリーになるのである。
(逆に理屈の糸こそが、記憶に関係するのかも知れない)
posted by おおおかとしひこ at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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