2013年11月09日

出落ちは何故起こるか

出落ちとは、その人物やアイテムが、
登場した(出た)瞬間が一番テンションがあがり、
その後下がることだ。
出たときはよかったんだがなあ、と語り草にされる。

出落ちは、始まりと終わりの話で言えば、
終わりを考えていないから起こる。

出落ちは元々お笑いの用語だ。
アホの坂田やゲッツの人など、登場して決めポーズするまでが、
面白いだけで、実際のネタは、笑えない。
お笑いは、ネタが本筋であり、キャラの強さに頼ることを戒める言葉である。
キャラの強さは、ゲストで生きる。
出落ちだけでいいからだ。
名脇役というのは、それ(存在感)で生き残る。

出落ちは、点と線でいうと、点の面白さである。
瞬間沸点を上げるだけで、ある時間以上持たない。

線の面白さは、始まりと終わりと理屈の面白さである。
オチ、というのは、始まったお話が、面白く決着することだ。
決着が重要だ。
お笑いに詳しくない人は、最後にひと笑い出来ればオチだと誤解する。
(例:CMで、ラストカットだけ面白いことをする。
面白い一発ギャグや面白い顔をすれば面白いという誤解。
前段のお話の帰結になっていなくとも、オチという人がよくいる。
ほんと寒い)
線がどういう理屈で終わるかが、納得でなく笑いになるのがオチである。

出落ちは、ストーリーではない。
単なる点の思いつきだ。
始まりと終わりと、その理屈を考えていないから起こるのだ。

車田漫画に出落ちが多いのは、先を決めていない連載形式ゆえである。
とりあえず凄いのを出して、あとで考える、という心理だろう。
未来の俺がなんとかするだろう、という期待だ。
未来の俺が登場シーンを越える面白さを書けなかったら、
出落ちに結果的になってしまう。


インパクトは大事だ。
新しいインパクトは、なににも勝る宝だ。
が、それを線に出来ないなら、それを事前に見極め、
脇役に回せばよい。
事前に見極められないのは、線の全体を考えていないからだ。

スターウォーズエピソード1の、
ダースモールは、真の出落ちである。
ゲートが開き、ビームナギナタが展開された瞬間の鳥肌は異常だ。
これがピークだった。
線の面白さと点の面白さを、使い分けよう。
使い分けられないことが、出落ちを生む。
posted by おおおかとしひこ at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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