2013年11月12日

No guts, No story.

僕の座右の銘のひとつだ。
初めてハリウッドにいったとき、土産屋の絵ハガキに書いてあった言葉。
崖から、向こうの崖に自転車で飛んで移ろうと、
男が猛烈に自転車をこいでいるイラストだった。

ストーリーとは何か、と迷うときに、この絵ハガキを今でも見る。

逆境を絵にすること。(崖を自転車で飛び越える)
危険を認識させること。(落ちたら死ぬ)
目的をはっきりさせること。(崖の向こうへ行くため、自転車をこぐ)
準備を描くこと。(その男はヘルメットをしっかり被っている)
そして、あとは勇気を出すこと。
それを、絵にすること。

少なくとも、ハリウッドは、それをストーリーと呼ぶのだ、
といつも思いを新たにする。

逆境がよくわからなく、逆境ですらなく、
危険も認識できず、
目的が曖昧で、
準備に知性がなく、
自ら勇気を出さず他人任せにするのは、
ストーリーではない。

無謀な蛮勇を言っているわけではない。
十分に準備されてはいるものの、
やってみるにはガッツのいるシチュエーション。
その舞台の整え方と、ガッツそのもの。
それがストーリーだ。

逆に言えば、ガッツだけが、道を切り開き、後世に残る物語になる。
座右の銘はいくつかあるが(「我が生涯に一片の悔いなし」byラオウ、とか)、
物語を考えるとき、いつも側に置いておく言葉である。
残念ながら、誰の言葉かは、絵ハガキに書いていない。
posted by おおおかとしひこ at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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