スプレッドとは、ハリウッドの脚本用語のひとつだ。
トランプのカードを広げることをスプレッドという。
ある状況を見せておいて、
考えうる選択肢のリスト、有り得るシチュエーション、
容疑者とアリバイを並べる、などのことだ。
簡単な例を、CMで解説しよう。
CMには、15秒バージョンと30秒バージョンがあることが知られている。
これは制作者にとって不思議な制約である。
同じ話のものを、倍の長さで二種類毎回つくる、
という制約なのだ。
CMの基本プロットは、「問題を商品が解決する」である。
15秒も30秒も同じ話、という制約から、
問題と解決は、同一である必要がある。
とすると、30秒バージョンでは、「その間」が足されていることになる。
両バージョンの同一性を保ち、間を膨らませる為によく使われるのが、
スプレッドというテクニックだ。
僕の代表作、クレラップの第一作を例に出そう。
主人公の女の子、クルリ(7才)は、
クレラップの正しい簡単な切り方を習得。
切るのがあまりに楽しく、
いっぱい切って色んなものに貼り付ける。
それが父母じいちゃんに、色々迷惑になる。
で、怒られる、というほのぼのコントだ。
簡単に切れ、貼り付く力の強い商品の利点を、
中盤の「色々」で表現する。
それが邪気のないいたずらに見えるようなコントを仕掛ける。
15秒バージョンでは、
ゴミ箱に貼ってあって、ゴミを捨てても跳ね返ってくる、
タンバリンに何故か貼ってある、
石鹸に貼ってあって手が洗えない、だった。
30秒バージョンでは、さらにスプレッドが行われ、
お菓子を入れる皿に貼ってあってお菓子を取れない、
コップに貼ってあってジュースをその上から注ぎ、跳ね返される、
お茶の葉入れに貼ってあって、お茶の葉が出てこない、
などを追加した。
冒頭とオチは同じだ。
間にスプレッドが行われ、具体例が増えているだけだ。
CMでは、このようなスプレッドは常套手段だ。
コントでなくても、商品の利点やシチュエーションが、
ロングバージョンでは増えている、というのはよくあるパターンである。
さて、我々は脚本家であるから、
これを脚本的に見る必要がある。
スプレッドの間、時間が進まない、というのが今回の論点だ。
CMの例では、「色んな面を見せる」という役割がある。
だから、スプレッドが多いほど多角的魅力的に見える。
30秒という短い時間ならそれも魅力的だが、
長い話、10分や2時間でそれをそのままやるのは危険だ。
スプレッドは、世界を多角的に見せるものだから、
世界が次々に変われば、物事が進行しているように、
書き手が誤解してしまう。
これが危険だ。
スプレッドは、カードの一覧を順番に見るだけだ。
「一覧」は、時間軸のない平面情報であり、動きを持たない。
つまりポスター、カタログ的なのだ。
スプレッド中、時間が進まないとはこういうことだ。
CM出身監督の映画では、これをやって失敗する例が多い。
身内の批判に留めるが、
師匠関口現の「survive style 5+」では群像というスプレッドだったし、
同期細野ひで晃「鈍獣」ではヘンテコキャラの博覧会が単なるスプレッドだった。
同期柴田大輔(共同監督)「さらば愛しの大統領」では、各芸人のギャグがスプレッドだった。
並べるネタの面白さ、その選出では群を抜くかも知れないが、
それが物語に組み込まれると途端に眠くなるのは、
一覧している間は、話が進まないからである。
物語とは、焦点を追うものである。
異物との出会いからはじまった目的という焦点が、
ターニングポイントを経て変形し、
その焦点を持続して引き続けることである。
スプレッドの焦点が、「次に来るネタは何か」にならない限り、
スプレッドの間は焦点を保てない。
ネタの個々は面白くても、
焦点の進行が停止している。
だから眠い。
ロードムービーは、
主人公が旅をし、次々に場所と関わる人を変えて行くスタイルの映画だ。
場所と人のセットが、一見スプレッドに見えるが、
よく出来たロードムービーでは、
単なるスプレッドにならないように、
物語を進行させる。
スタンドバイミーを例に取れば、
犬と列車は単なるスプレッドだが、
商店で死んだ兄の話をすること、
ロリポップ歌いながら中学はお前は進学校に行けという話、
ミッドポイント、夜のキャンプのつくり話で、
お前は進学校で勉強して小説家になれ、というハイライト、
その時の対比、家が貧乏なだけで給食費盗んだ犯人にさせられた、
犯人は先生なのに、という親友の告白は、
全て繋がっている物語である。
次々に景色が変わるスプレッドに見せかけて、
話を進行させるのだ。
ロードムービーとは、シチュエーションのセットのスプレッドと、
物語の進行を絶妙に組み合わせるジャンルだとも言える。
色々なアイデアを出し、順番を入れ替えたり、
色づけするのは、楽しい創作の原点だ。
並べて一覧するのは、人間の本能に入っている楽しさのような気がする。
が、時間軸を持つ物語では注意せよ。
物語の進行、すなわち繋がる焦点とターニングポイントの一連こそが、
物語の背骨だ。
縦に伸びる背骨に対して、スプレッドは横に伸びる力であり、
縦方向を持たない力である。
シド・フィールドは、ACT 2の障害はよっつである、
という予測をしている。
中盤が単なる障害のスプレッドになるか、
物語の巧みな進行になるかは、書き手次第である。
自覚を持って、スプレッドを使いこなして欲しい。
2013年11月15日
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