2013年11月15日

スプレッドは、時間が進まない

スプレッドとは、ハリウッドの脚本用語のひとつだ。
トランプのカードを広げることをスプレッドという。
ある状況を見せておいて、
考えうる選択肢のリスト、有り得るシチュエーション、
容疑者とアリバイを並べる、などのことだ。

簡単な例を、CMで解説しよう。

CMには、15秒バージョンと30秒バージョンがあることが知られている。
これは制作者にとって不思議な制約である。
同じ話のものを、倍の長さで二種類毎回つくる、
という制約なのだ。

CMの基本プロットは、「問題を商品が解決する」である。
15秒も30秒も同じ話、という制約から、
問題と解決は、同一である必要がある。
とすると、30秒バージョンでは、「その間」が足されていることになる。
両バージョンの同一性を保ち、間を膨らませる為によく使われるのが、
スプレッドというテクニックだ。

僕の代表作、クレラップの第一作を例に出そう。

主人公の女の子、クルリ(7才)は、
クレラップの正しい簡単な切り方を習得。
切るのがあまりに楽しく、
いっぱい切って色んなものに貼り付ける。
それが父母じいちゃんに、色々迷惑になる。
で、怒られる、というほのぼのコントだ。

簡単に切れ、貼り付く力の強い商品の利点を、
中盤の「色々」で表現する。
それが邪気のないいたずらに見えるようなコントを仕掛ける。

15秒バージョンでは、
ゴミ箱に貼ってあって、ゴミを捨てても跳ね返ってくる、
タンバリンに何故か貼ってある、
石鹸に貼ってあって手が洗えない、だった。
30秒バージョンでは、さらにスプレッドが行われ、
お菓子を入れる皿に貼ってあってお菓子を取れない、
コップに貼ってあってジュースをその上から注ぎ、跳ね返される、
お茶の葉入れに貼ってあって、お茶の葉が出てこない、
などを追加した。

冒頭とオチは同じだ。
間にスプレッドが行われ、具体例が増えているだけだ。

CMでは、このようなスプレッドは常套手段だ。
コントでなくても、商品の利点やシチュエーションが、
ロングバージョンでは増えている、というのはよくあるパターンである。


さて、我々は脚本家であるから、
これを脚本的に見る必要がある。
スプレッドの間、時間が進まない、というのが今回の論点だ。


CMの例では、「色んな面を見せる」という役割がある。
だから、スプレッドが多いほど多角的魅力的に見える。
30秒という短い時間ならそれも魅力的だが、
長い話、10分や2時間でそれをそのままやるのは危険だ。

スプレッドは、世界を多角的に見せるものだから、
世界が次々に変われば、物事が進行しているように、
書き手が誤解してしまう。
これが危険だ。
スプレッドは、カードの一覧を順番に見るだけだ。
「一覧」は、時間軸のない平面情報であり、動きを持たない。
つまりポスター、カタログ的なのだ。

スプレッド中、時間が進まないとはこういうことだ。

CM出身監督の映画では、これをやって失敗する例が多い。
身内の批判に留めるが、
師匠関口現の「survive style 5+」では群像というスプレッドだったし、
同期細野ひで晃「鈍獣」ではヘンテコキャラの博覧会が単なるスプレッドだった。
同期柴田大輔(共同監督)「さらば愛しの大統領」では、各芸人のギャグがスプレッドだった。
並べるネタの面白さ、その選出では群を抜くかも知れないが、
それが物語に組み込まれると途端に眠くなるのは、
一覧している間は、話が進まないからである。

物語とは、焦点を追うものである。
異物との出会いからはじまった目的という焦点が、
ターニングポイントを経て変形し、
その焦点を持続して引き続けることである。

スプレッドの焦点が、「次に来るネタは何か」にならない限り、
スプレッドの間は焦点を保てない。
ネタの個々は面白くても、
焦点の進行が停止している。
だから眠い。


ロードムービーは、
主人公が旅をし、次々に場所と関わる人を変えて行くスタイルの映画だ。
場所と人のセットが、一見スプレッドに見えるが、
よく出来たロードムービーでは、
単なるスプレッドにならないように、
物語を進行させる。

スタンドバイミーを例に取れば、
犬と列車は単なるスプレッドだが、
商店で死んだ兄の話をすること、
ロリポップ歌いながら中学はお前は進学校に行けという話、
ミッドポイント、夜のキャンプのつくり話で、
お前は進学校で勉強して小説家になれ、というハイライト、
その時の対比、家が貧乏なだけで給食費盗んだ犯人にさせられた、
犯人は先生なのに、という親友の告白は、
全て繋がっている物語である。

次々に景色が変わるスプレッドに見せかけて、
話を進行させるのだ。
ロードムービーとは、シチュエーションのセットのスプレッドと、
物語の進行を絶妙に組み合わせるジャンルだとも言える。


色々なアイデアを出し、順番を入れ替えたり、
色づけするのは、楽しい創作の原点だ。
並べて一覧するのは、人間の本能に入っている楽しさのような気がする。

が、時間軸を持つ物語では注意せよ。
物語の進行、すなわち繋がる焦点とターニングポイントの一連こそが、
物語の背骨だ。
縦に伸びる背骨に対して、スプレッドは横に伸びる力であり、
縦方向を持たない力である。

シド・フィールドは、ACT 2の障害はよっつである、
という予測をしている。
中盤が単なる障害のスプレッドになるか、
物語の巧みな進行になるかは、書き手次第である。
自覚を持って、スプレッドを使いこなして欲しい。
posted by おおおかとしひこ at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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