色々とプロットや台詞を練っていると、
とりあえずこうしようと思っていたことに、
穴が見つかることがある。
大抵は、こういう場面が描きたいから、
そうなるように仕向けた、というご都合のことが多い。
それらをひとつひとつ潰していくのは、
骨の折れる作業だ。
しかし、これを丹念に丹念にやっておくのが、
本当のプロットづくりなのだ。
何故この人はこうしたのか、
実はこの人がこうでこうだったからだ、
待てよ、それではこれと矛盾する、
ならこういうことにしよう、
ちょっと待て、だったら最初からこうすればいいんじゃ、
じゃあそれは最初に気づくよね?
などの思考は、こういうことを考えている人には馴染みのある
脳内会話だろう。
動機、行動、秘密、知っていること知らないこと、
それらの、「複数の」人物の糸と絡み。
それらが矛盾しないこと。
自然な発想で、強引でない発想になること。
しかも、面白い展開であること。
展開ありきだと、
あとづけが多くなる。
矛盾しないように理由をつける。
とするとその伏線をひくべきと思う。
するとその展開がそもそもしなくてよいことになる。
あるいは、そんな劇的なシーンでなくなってしまう。
僕は、劇的なシーンありきで、
矛盾なく色々をおさめることを考えるタイプだと思う。
他に劇的なことを思いつけば別だが、
大抵最初に思いついた面白い展開に勝てない。
で、結局うんうん唸ることになる。
○○がこうすると、△△はこれをしてしまう、
ということは、二人は一緒にいないほうがいい、
しかしこれは××と矛盾する…などである。
これを、自然になるまでには、
多分物凄い労力が必要だ。
パターンがないから、パターンに嵌めることもできない。
(逆にパターンなら、パターンかよと失望されるし)
自然でしかも面白い展開があるとしたら、
天才的ひらめきか、物凄い努力で産み出されたものなのだ。
出るまでやろう。
その手をぬいた脚本には、
必ず「それ変じゃね?」という箇所が出てくる。
誤魔化せる、と思ってはいけない。
だって、詰まらない話の「それ変じゃね?」ポイントは、
誰も誤魔化しきれていないではないか。
何で○○を先にやんないんだよ!
それ先に気づけよ!あほか!幼稚園児でも気づくわ!
○○なら、△△したほうがいいのに何でしないの?
それ矛盾してる、
などは、詰まらない話の「それ変じゃね?」ポイントだ。
その脚本家は、その矛盾に気づかなかったのかよ、と思う。
気づかなかったから、詰まらないのである。
そういうポイントに、気づこう。
何度も何度も頭から語って、途中おかしいぞ、
と思うまで語ろう。
一度もおかしいポイントがなくなるまで、
何度も何度も練り直す。
プロット、動機、人物、台詞、場面、情報の順番、多少。
残念ながら、これを矛盾なく面白くする王道の方法はない。
あるとしたら、ひたすら語り手と聞き手を往復するしかないのだ。
今、リライト中だ。
欲しい場面ありきでやっていると、こんな練り直しが待っている。
2013年11月18日
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