2013年11月19日

ストーリーは、脚本に書いていない

逆説的に言ってみる。
脚本に書いてあるのは、柱と台詞とト書きしかない。
そこに、ストーリーは直接書かれていない。

ストーリーとは、三幕構成や、
ターニングポイントと焦点と行動の連鎖であり、
複数の人物の動機や行動の矛盾のない一連であり、
感情や動機の推移であり、
異物との出会いからはじまる日常回復の冒険であり、
動きであり、
テーマである。

それは、論文のように書かれているわけではない。
台詞とト書きという、表現形式で書かれている。
極端に、同じストーリーを、脚本で書く場合と、
音楽で奏でる場合の二つで考えればわかる。
(音楽とストーリーが一対一対応できるかは、ちょっと置いとく)
音楽は、音符や休符や編成のことだから、
ここにも直接ストーリーは書いていない。

台詞とト書きがストーリーの正体ではない。
それは表現形式のひとつに過ぎないのだ。
ゲームの台本は、質問と選択肢の組み合わせで分岐的に書くという。
そこにもストーリーそのものが書かれているわけではない。

ストーリーは、表現形式の上位概念だ。
ストーリーは、表現形式で受肉するのである。
どんなに素晴らしいストーリーでも、表現が詰まらないのはダメだ。
どんなに表現が素晴らしくとも、ストーリーがダメなものはダメだ。

脚本は、ストーリーを書くのではない。
台詞とト書きで、ストーリーを表現するものなのだ。

三幕の切れ目や、ここからここまでがターニングポイントだ、とか、
伏線に線が引いてあったり、今の焦点が何か、いちいち書いていない。
脚本に書いてあるのは、台詞とト書き(と柱)でしかない。


ストーリーを練る力と、表現力は、厳密には違う能力だ。
同じストーリーでも、台詞やト書きで、出来は変わる。
ストーリーは、脚本には書いていないという逆説的な認識。
あなたは何を書いているのか、時々見失ったら思い出して欲しい。
posted by おおおかとしひこ at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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