この作品のコンセプトは何か?と考えると、
ついつい、高尚なことを抽象的に書きたくなってしまう。
オリジナリティあふれることをアピールしたくて、
へんてこで高度なものを書きたくなってしまう。
そういう迷路にはまったら、
「一番のみどころは何?」と自分に問おう。
ふたつやみっつはだめで、一番のものを出そう。
それが面白いメインディッシュであり、かつテーマに関わるようであれば、
その話は必ず面白くなる。
そうやって決めたものから、ぶれないようにしよう。
最初からそれはハッキリしない。
練っていくうちに、思いついたり収斂したりするものだ。
みどころを変更するなら、すべての要素をそこから演繹しよう。
既にあるものをキープしつつ、その共通要素から無理やり捻出してみどころにするのは、
間違ったやり方だ。
コンセプトから、各要素は演繹すること。
各要素から、コンセプトを帰納しないこと。
帰納でつくられたコンセプトは、弱い。
このコンセプトだとしたら、各要素はこうであるべきだ、
という発展的思いつきでつくったものは、必ず発展する。
リライトのとき、既に書いたところが可愛くて、
つい変更するのが辛くなる。だからキープしたまま、
コンセプトの方で調整できないかと考える。
それは禁止。帰納でつくられたコンセプトは弱い。
そんなときは、まるごと捨てよう。
新たなコンセプトから、生まれ変わらせよう。
まるごと捨てたものは、保管庫に必ずおいておこう。
別の企画のときに、日の目を見るまで保管しておこう。
経験則だが、うまく書けた脚本は、
捨てた要素も、大抵最終稿に溶け込んで入っているものだ。
「みどころ」は、抽象的でなく具体的だ。
一方的な作者の思い込みではなく、見る人と共有するものだ。
このみどころは最高だったな、とみんなで楽しむものだ。
クライマックスの爆弾解除するところ、とか、
父と再会したが別れる苦い場面、とか、
具体的な場面と感情が伴う。
色々な名場面があったとしても、その中でも一番のみどころを書いてみよう。
それが、「我々が見たいけどまだ名前のついてないもの」であるとき、
間違いなくそのみどころを持つ話は、オリジナルで面白いだろう。
自分の書いている話の、みどころは、何?
それを問うことが、ショウを書く者の自覚的書き方である。
2013年11月23日
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