2013年11月23日

みどころは、何?

この作品のコンセプトは何か?と考えると、
ついつい、高尚なことを抽象的に書きたくなってしまう。
オリジナリティあふれることをアピールしたくて、
へんてこで高度なものを書きたくなってしまう。

そういう迷路にはまったら、
「一番のみどころは何?」と自分に問おう。

ふたつやみっつはだめで、一番のものを出そう。
それが面白いメインディッシュであり、かつテーマに関わるようであれば、
その話は必ず面白くなる。
そうやって決めたものから、ぶれないようにしよう。

最初からそれはハッキリしない。
練っていくうちに、思いついたり収斂したりするものだ。

みどころを変更するなら、すべての要素をそこから演繹しよう。
既にあるものをキープしつつ、その共通要素から無理やり捻出してみどころにするのは、
間違ったやり方だ。
コンセプトから、各要素は演繹すること。
各要素から、コンセプトを帰納しないこと。
帰納でつくられたコンセプトは、弱い。

このコンセプトだとしたら、各要素はこうであるべきだ、
という発展的思いつきでつくったものは、必ず発展する。

リライトのとき、既に書いたところが可愛くて、
つい変更するのが辛くなる。だからキープしたまま、
コンセプトの方で調整できないかと考える。
それは禁止。帰納でつくられたコンセプトは弱い。

そんなときは、まるごと捨てよう。
新たなコンセプトから、生まれ変わらせよう。
まるごと捨てたものは、保管庫に必ずおいておこう。
別の企画のときに、日の目を見るまで保管しておこう。
経験則だが、うまく書けた脚本は、
捨てた要素も、大抵最終稿に溶け込んで入っているものだ。


「みどころ」は、抽象的でなく具体的だ。
一方的な作者の思い込みではなく、見る人と共有するものだ。
このみどころは最高だったな、とみんなで楽しむものだ。
クライマックスの爆弾解除するところ、とか、
父と再会したが別れる苦い場面、とか、
具体的な場面と感情が伴う。
色々な名場面があったとしても、その中でも一番のみどころを書いてみよう。

それが、「我々が見たいけどまだ名前のついてないもの」であるとき、
間違いなくそのみどころを持つ話は、オリジナルで面白いだろう。

自分の書いている話の、みどころは、何?
それを問うことが、ショウを書く者の自覚的書き方である。
posted by おおおかとしひこ at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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