2013年11月25日

アイデアを足すことにまつわる不具合(赤と青の粘土)

今新作を練っていて、ああ練るときに良くあることだなあ、
と思ったのでメモ。

それまでのアイデアに、新しくアイデアを足すと良くなることがある。
あるものを引いたり足したりして、ベストのアイデアの組を考える、
それが練ることだ、といってもよい。

で、何かを足すと不具合が出る。
その話。

もとあったアイデアの組をA、
足したアイデアをBとしよう。

Aだけだとなんだか物足りないと思う直感が、
Bを思いつかせる。
Bを足すときに、複雑になったり矛盾したりすることを、
Aから取り除く。
7だったものから2を引いて5を足して10にする、そんなイメージ。

作者は、元々のABを知っているから、
どこまでが新でどこらへんが旧かわかっている。

だが、観客はそうではない。
アイデアの数々を、ひとつの系として見る。
作者にとってはふたつの系の混合体だが、
観客はひとつの体系として捉える。

ひとつの体系前提だと、
こうだとしたら当然有りうることや、
あり得ないことについても考える。
すると、混合体系だと作者が思い込んでいることとの齟齬をきたす。


具体例を。
仮面ライダー響鬼の例では、
「鬼は清めの音で怪物を退治する」というひとつの体系だと、
観客である僕は見た。
だから、音撃という新しいトドメ技は、
ライダーキックに変わる、新しいカタルシスを期待する。
それが、ただ太鼓を乱打する、というお粗末な演出に拍子抜けした。
ここがカタルシスだろう普通、と思ったからだ。

様々な情報を加味すると、
「鬼の怪物退治」と、「音撃」は、別々のアイデアであったらしい。
前者は製作サイドのアイデア、
後者はオモチャスポンサーが売りたいオモチャのアイデアだ。
どちらが先で、どちらが後に割り込んできたかは不明だが、
これらはAとBの関係にある。

鬼が先で音が後だとしよう。
鬼の怪物退治だから、ライダーキックや、
金棒的な武器によるトドメが考えられていただろう(A)。
これを、音で倒すというアイデアBが追加された。
鬼は音を出す生き物でも、楽器を演奏する生き物でもない。
ふたつを接着するためのアイデアが、
「清めの音」という考え方だろう。
こう考えることで、鬼の戦闘=金棒的な武器=太鼓のバチ、
という無矛盾な体系になった感じがする。
作者目線では。

しかし、観客から見たら、徹底がされていなくて中途半端だ。
鬼と音は関係ないものだから、
今回の鬼は、新しい「音で清める鬼」とひとつの体系で見る。

このアイデアから連想される、
パンチやキックすら音の波動を出す、
歌(詠唱)や音を出す武器すら遠隔攻撃(や防御)となる、
変身を音(雑音や反位相)で阻止する敵の作戦、
最大の攻撃は、単音ではく、一連の曲である、
などが、
仕上がったものにはひとつも含まれていなかった。
主人公アスムがドラマーであり、吹奏楽部に所属していることから、
演奏者=鬼(半人前だとしても)となるドラマも期待された。

そうならなかったのは、
鬼と音というAとBが、まだ上手くひとつになっていなかった、
ということだ。
鬼は鬼の話、音は音の話、とバラバラだった気がする。
一話冒頭で度肝を抜いたまさかのミュージカルや、
カエルの歌の替え歌は、鬼と何の関係もなく、
鬼の使う楽器は、武器扱いでしかなかった。

作者から見れば二要素、観客から見れば一要素だった例である。

勿論、バンダイの意向への作者の抵抗だったのかも知れない。
鬼と音は関係ないから、関係させない、
という無言の抵抗にも見える。
その結果はオモチャ不振となり、一見バンダイへの復讐を成功させたかに見えたが、
路線変更というブーメランになった。
路線変更後は、京介という更にCが入り、
最後まで見ていないが、カオスだったろうことは想像できる。


赤い粘土と、青い粘土を混ぜるイメージだ。
赤だけではイマイチという思いが、青を足させる。
青を足すために、ちょっと赤をちぎって捨てる。
一端青を混ぜたら、まだらにしないこと。
最初からそれが紫の粘土だったかのように、
両者を分けることが出来ないように、一体化し、
その上で更に発展的なことを考えよう。
練るとは、そのようなことである。

練っている最中、
アイデアを足したり引いたりすることは、
よくあることだ。

僕が、
途中でコンセプトやタグラインや見所を何度も書け、
と言ったり、
一端忘れて、頭から書き直せ、
と言うのも、
赤や青を、なるべく紫にする方法である。

リライトの時は、ついつい前の脚本を切り貼りして、
繋いでみたくなるものだ。
それは、赤と青を、そのまま残してしまうことになる。

今書いている脚本は、30分想定だが、
まるまる頭から書くのは4回目だ。
まだ紫がちょっと足りない気がするが、
赤を青の部分はなくなった気がする。
30分なら容易かも知れないが、
これが110分だと骨が折れるだろう。
折れても、やるべきである。


響鬼の例で言えば、
今回のライダーは音で闘う鬼だ、
という「ひとつの」アイデアを、
冒頭のフェリー、ヒビキが子供を助ける所で描くべきである。
子供の呼吸のリズムがおかしいのに気づいて転落を未然に防ぐ、
や、フェリーのエンジン音の異変に一人だけ気づく、
など、音の鬼らしいエピソードが登場であるべきである。
そうではなく、「鍛えてますから」であったのは、
元々のAが、「鍛えて鬼になる」というところに、Bの「音」が
足されたことを予測させる。
夏前の轟鬼への特訓が、音楽に関することではなく、
臍の重心や勢いのことであることも、赤い粘土がそのままで残る名残だ。
これが紫まで練られていれば、
リズムの話や息が続くかどうかとか、共鳴や不協和音の話をしていた筈だ。

青を除けば赤だけで俺の物語になる、
という主張は、多分意味がない。
観客は、紫になっていないことに怒る。
青を足すかどうかというのは、それくらいシナリオに致命的な影響を与える。
posted by おおおかとしひこ at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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