今新作を練っていて、ああ練るときに良くあることだなあ、
と思ったのでメモ。
それまでのアイデアに、新しくアイデアを足すと良くなることがある。
あるものを引いたり足したりして、ベストのアイデアの組を考える、
それが練ることだ、といってもよい。
で、何かを足すと不具合が出る。
その話。
もとあったアイデアの組をA、
足したアイデアをBとしよう。
Aだけだとなんだか物足りないと思う直感が、
Bを思いつかせる。
Bを足すときに、複雑になったり矛盾したりすることを、
Aから取り除く。
7だったものから2を引いて5を足して10にする、そんなイメージ。
作者は、元々のABを知っているから、
どこまでが新でどこらへんが旧かわかっている。
だが、観客はそうではない。
アイデアの数々を、ひとつの系として見る。
作者にとってはふたつの系の混合体だが、
観客はひとつの体系として捉える。
ひとつの体系前提だと、
こうだとしたら当然有りうることや、
あり得ないことについても考える。
すると、混合体系だと作者が思い込んでいることとの齟齬をきたす。
具体例を。
仮面ライダー響鬼の例では、
「鬼は清めの音で怪物を退治する」というひとつの体系だと、
観客である僕は見た。
だから、音撃という新しいトドメ技は、
ライダーキックに変わる、新しいカタルシスを期待する。
それが、ただ太鼓を乱打する、というお粗末な演出に拍子抜けした。
ここがカタルシスだろう普通、と思ったからだ。
様々な情報を加味すると、
「鬼の怪物退治」と、「音撃」は、別々のアイデアであったらしい。
前者は製作サイドのアイデア、
後者はオモチャスポンサーが売りたいオモチャのアイデアだ。
どちらが先で、どちらが後に割り込んできたかは不明だが、
これらはAとBの関係にある。
鬼が先で音が後だとしよう。
鬼の怪物退治だから、ライダーキックや、
金棒的な武器によるトドメが考えられていただろう(A)。
これを、音で倒すというアイデアBが追加された。
鬼は音を出す生き物でも、楽器を演奏する生き物でもない。
ふたつを接着するためのアイデアが、
「清めの音」という考え方だろう。
こう考えることで、鬼の戦闘=金棒的な武器=太鼓のバチ、
という無矛盾な体系になった感じがする。
作者目線では。
しかし、観客から見たら、徹底がされていなくて中途半端だ。
鬼と音は関係ないものだから、
今回の鬼は、新しい「音で清める鬼」とひとつの体系で見る。
このアイデアから連想される、
パンチやキックすら音の波動を出す、
歌(詠唱)や音を出す武器すら遠隔攻撃(や防御)となる、
変身を音(雑音や反位相)で阻止する敵の作戦、
最大の攻撃は、単音ではく、一連の曲である、
などが、
仕上がったものにはひとつも含まれていなかった。
主人公アスムがドラマーであり、吹奏楽部に所属していることから、
演奏者=鬼(半人前だとしても)となるドラマも期待された。
そうならなかったのは、
鬼と音というAとBが、まだ上手くひとつになっていなかった、
ということだ。
鬼は鬼の話、音は音の話、とバラバラだった気がする。
一話冒頭で度肝を抜いたまさかのミュージカルや、
カエルの歌の替え歌は、鬼と何の関係もなく、
鬼の使う楽器は、武器扱いでしかなかった。
作者から見れば二要素、観客から見れば一要素だった例である。
勿論、バンダイの意向への作者の抵抗だったのかも知れない。
鬼と音は関係ないから、関係させない、
という無言の抵抗にも見える。
その結果はオモチャ不振となり、一見バンダイへの復讐を成功させたかに見えたが、
路線変更というブーメランになった。
路線変更後は、京介という更にCが入り、
最後まで見ていないが、カオスだったろうことは想像できる。
赤い粘土と、青い粘土を混ぜるイメージだ。
赤だけではイマイチという思いが、青を足させる。
青を足すために、ちょっと赤をちぎって捨てる。
一端青を混ぜたら、まだらにしないこと。
最初からそれが紫の粘土だったかのように、
両者を分けることが出来ないように、一体化し、
その上で更に発展的なことを考えよう。
練るとは、そのようなことである。
練っている最中、
アイデアを足したり引いたりすることは、
よくあることだ。
僕が、
途中でコンセプトやタグラインや見所を何度も書け、
と言ったり、
一端忘れて、頭から書き直せ、
と言うのも、
赤や青を、なるべく紫にする方法である。
リライトの時は、ついつい前の脚本を切り貼りして、
繋いでみたくなるものだ。
それは、赤と青を、そのまま残してしまうことになる。
今書いている脚本は、30分想定だが、
まるまる頭から書くのは4回目だ。
まだ紫がちょっと足りない気がするが、
赤を青の部分はなくなった気がする。
30分なら容易かも知れないが、
これが110分だと骨が折れるだろう。
折れても、やるべきである。
響鬼の例で言えば、
今回のライダーは音で闘う鬼だ、
という「ひとつの」アイデアを、
冒頭のフェリー、ヒビキが子供を助ける所で描くべきである。
子供の呼吸のリズムがおかしいのに気づいて転落を未然に防ぐ、
や、フェリーのエンジン音の異変に一人だけ気づく、
など、音の鬼らしいエピソードが登場であるべきである。
そうではなく、「鍛えてますから」であったのは、
元々のAが、「鍛えて鬼になる」というところに、Bの「音」が
足されたことを予測させる。
夏前の轟鬼への特訓が、音楽に関することではなく、
臍の重心や勢いのことであることも、赤い粘土がそのままで残る名残だ。
これが紫まで練られていれば、
リズムの話や息が続くかどうかとか、共鳴や不協和音の話をしていた筈だ。
青を除けば赤だけで俺の物語になる、
という主張は、多分意味がない。
観客は、紫になっていないことに怒る。
青を足すかどうかというのは、それくらいシナリオに致命的な影響を与える。
2013年11月25日
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