2013年12月02日

誰と誰の話か

主役のことを考えたり、
脇の人物について考えたり、
群像劇的に考えたり、個人について考えていると、
意外と忘れがちなこと。

それは、誰と誰の話になっているか、ということ。

物語のエンジンはメインコンフリクトだが、
それが、主人公と敵の話になっていない場合もある。
例えば主人公と同僚の話、になっていたりする。

それが悪い、ということを言おうとしている訳ではない。

誰と誰の間に一番会話が交わされ、
もめたり笑ったり怒ったりするかを考えてみる、
という話だ。
ドラマは、個人にではなく、人と人の間にある。
メインコンフリクトの時間軸の中で、
サブプロットの人と人の間のドラマが描かれる。

そのとき、一番強いものはどれか、
作者自信が自覚的である必要がある。
あるいは、主人公と誰の話か、を考えてもよい。

「ロッキー」は、ロッキーとエイドリアンの話であり、ロッキーとミッキーの話であり、
ロッキーとポーリーの話である。(ロッキーとアポロの話ではない)
「風魔の小次郎」は、小次郎と武蔵の話であり、小次郎と壬生の話であり、
小次郎と姫子の話であり、小次郎と竜魔の話である。
(小次郎と武蔵がちょっと弱かったのは、反省している)

恐らく、それがコンフリクトやテーマより、
描きたいものになっていると、
執筆段階としては、最終段階だと思う。

主人公とテーマとコンフリクトは背骨であるが、
主人公と誰の話か、は物語の内臓である。
最も大事な心臓や、それを助ける「主人公と他の人の話」「他の人と他の人の話」
が有機的に組合わさる。
内臓がない物語は、スカスカの話だ。


誰と誰の話か、を俯瞰して取り出してみよう。

その大小が、いびつなら、それは話としてもいびつだ。
その感覚を持とう。
posted by おおおかとしひこ at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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