2013年12月07日

コンフリクトと一人将棋

映画にとって、物語のエンジンは、動機である。
そして、異なるまたは競合する、複数の動機や立場があるとき、
コンフリクト(対立、確執、戦争)が生まれる。

これを、一人将棋に例えてみる。

僕は将棋には詳しくないので、
一人二役で一人将棋をするのが、どれくらいメジャーかは分からない。
(棋譜を見ながら研究するのは聞いたことがあるが、
戯れに一人二役をやるのだろうか、分からない)
脚本家が、コンフリクトを考え、ストーリー展開を考えることは、
ほぼ一人将棋のようなものだ。

人間は、思考がある。
状況を把握し、動機に従って具体的目的を果たすため、行動する。
馬鹿ではないから、その成功の可能性、失敗の可能性、予測、
失敗の確率を減らす要素、協力者との政治的な駆け引き、
損得の取引、騙し討ち、裏切る合理性、
などは、一通り持ち合わせている。
(アメリカのアクション映画は、あまり持ち合わせていない馬鹿ばかりだが)

そして、それは、コンフリクトの相手も同等に持っている。

だから、主人公と相手は、ある意味将棋を指すのだ。

作戦を練り、相手の裏をかき、裏をかかれないように考え、
二段構え三段構えの準備をし、間接的攻撃もし、直接接触のリスクを避け、
偶然のチャンスに賭け、強気にも弱気にもなる。


別の原理を持って対局する二人を、
脚本家は、一人で書く。
だから一人将棋にたとえてみた。

刑事と犯人、政治家と検察、検事と弁護士などのようなドラマではとくにそうだ。
恋のライバルや、ヒーローと悪、財宝を巡る冒険家とナチス、
などの軟らかいドラマでもそれは同じだ。


二人のコンフリクトだと2時間の規模には小さいから、
更に複数のプレイヤー間の将棋を考えなければならない。
拮抗した状況、動くきっかけなどから、展開から、結末に至るまで、
自動的に話が進まないならば、そこには対局する必要のある、
コンフリクトがあるだろう。
そのサブストーリーラインとメインストーリーラインは、
あるターニングポイントが別のラインのターニングポイントになったりする。
隣の対局で、こちらの局面に影響があり、それが状況打開のきっかけになる、
というイメージだ。
脚本家は、これを一人で、矛盾なく、面白く、深い余韻を与えるように、
創作する必要がある。

リアルな一人将棋と、脚本におけるこの何人もの役を演じる対局と、
どっちが難しく大変かは分からない。
ただ、将棋にはルールがあるが、人生はノールールだってことだ。
将棋は勝てばなんでもよいが、人生は勝ち方も重要だ。
そして映画は、人生を描く娯楽芸術である。
posted by おおおかとしひこ at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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