語呂合わせのように書いてみたが、
殆どの物語の進行は、
これを描くのに終始する。
展開とかターニングポイントとか焦点とかは、
より上位の概念で、
もっとも下位の概念は、リアリティーや感情や文脈や物語の手触りだ。
中くらいの概念に、
対比や対立構造、対称性がある。
対比するときは、
なるべく大きく違うようにする。
意味、立場、見た目のビジュアル、アクションの方向性、
何もかも違うように。なるべく意味的距離を離す。
同時に、同じところはどこかも考える。
同じところと違うところが、物語の原動力のひとつである。
モンタージュという編集でも同じだ。
カットとカットの繋ぎは、
対比対立なのか、同意反復なのかで、繋ぐ意図が変わってくる。
目線の方向、アイレベル、体の向き、感情、
背景の同一性と対比性などで、
文脈をコントロールすることが、カットを繋ぐという行為だ。
そして、そもそもの対立や対比や同意や相違という意味が、
物語に内臓されていないのなら、
そのようなモンタージュをしても意味がない。
せいぜい、詰まらない物語をトリック風に味付けし続ける
堤幸彦のように、テクニックオシャレに走るしかなくなる。
リアリティーや感情や手触りといった部分に、
最も気を使いながら、
対比的同意的関係を描きつつ、
それらが構造的にストーリーラインを構築し、
焦点へ誘導し、ターニングポイントが配置されて焦点がかわり、
伏線が張られていて、
テーマ性がしっかりしていて、斬新なものが、
理想的な脚本である。
そんなの無理?いいや、ひとつひとつ積み上げれば、難しいことではない。
事実、それをなし得ている脚本は、名作と呼ばれ沢山あるではないか。
2013年12月07日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック