大体、殆どの揉め事は、当事者全員を一堂に会わせて、
言いたいことを正直にぶつければ、大抵解決の方向が見える。
何が問題なのか、正確に全てを、全員が把握して、
嘘偽りなく自分の都合と集団の利益を考えれば、
結論はひとつに収束する。
だから、お話をつくるには、その逆をすればよい。
コツは、全員を会わせないことなのだ。
会えない恋人は、ドラマになる。
(西野カナは、たったそれだけで仕事をしているとネットで揶揄される)
会えないだけでなく、結ばれてはならない、というだけでもドラマになる。
この場にいない人のことを慮った故の決定が、
のちに致命傷となることは、ドラマでも現実でもよくある。
主人公とライバルは、なかなか試合であいまみえないことが、
最終バトルへの期待を高めていく。
姿を見せない狡猾な敵の、行動や原理を推理する。
身柄の確保そのものが行動の焦点になる。
面会を断られ、どうやったら会ってくれるかの工夫がストーリーラインになる。
正体不明だからこそ、それを探る。
離れ離れになっても、全く同じことを考えていて、約束を果すように行動。
敵側へ寝返ったのは、誰にも言えない理由があった。
会ったとしても、腹に一物を抱えて、全てのカードをオープンにしない。
みんなにばれないように、二人だけの秘密にする。
などなど、会って話せないことが、ドラマの原動力になる例は沢山ある。
全員を会わせない。
つまり、登場人物を、いかにセグメント化、ブロック分けして、
情報を共有させないことが、ドラマになるのだ。
通信の発達で、一見それは解消した気になるが、
現実の会社で飛び交う情報共有メールよりも、会って話したほうが百倍話が早く進むことは、
仕事をしていれば分かることだ。全員が会って話すことは、それくらい人間にとって重要だ。
(いま広告業界では、何段階もの情報共有のズレがあり、
それが内容のクオリティに直接影響している。デジタル時代で締め切りだけが早くなり、
メールだけで直接会わない機会が増え、直接会って事情を確認しあうことが軽視されている。
直接会えば出るかも知れない新しいアイデアを、出す場所がない)
別れ話をメールだけでやる若い人も増えたが、
それは辛いことや面倒から逃げている心理だ。
直接会って味わう修羅場や感情の揺れや、泥沼こそが人間を成長させるのに。
会えないことによるドラマでひっぱり、会ってからの泥沼で、
解決(平定)へ向かう、という二段組が、物語にするコツだ。
会ってからの修羅場は、ドラマで言えばワンシーンだが、
会えないからこそのドラマは、何シーンも引っ張れる。
友達に相談したり、こっそり会いに行こうとするなどの膨らましも可能だ。
直接会うと、修羅場や泥沼になる。
が、人間は雨が降れば地を固められる生き物だから、
一堂に会せば、実はワンシーンで平定するのだ。
(そのワンシーンを描いたのが、「11人の怒れる男」、
それをコメディに翻案した「12人の優しい日本人」という実験劇だ)
そのワンシーンこそが、映画ではクライマックスになる。
(だから、大団円は、全員が揃う)
勿論、完全決裂後、全面戦争というドラマもありえる。
会うことには、そのようなリスクとリターンがある。
そこまでに、どう話をひっぱるかは、
上手いことやって「会わせない」ことである。
偶然、本人の意志、他人の都合優先、特殊な事情、会おうとも思ってないなど、
世の中に会えない理由は沢山ある。
それを障害と考えれば、乗り越えることが焦点になる。
(会いに行くことが、ひとつのストーリーラインになる)
誰と誰が会ってなくて、誰の何を知っていて、知らないか、
このいびつをつくることが、「全員が一堂に会してすべての情報を知る」ことの反対側だ。
そこに、ストーリーテラーの腕を奮おう。
そのように、陣営を編成するのだ。
会えない時間が愛を育てるのだとしたら、
会えないことで何が起こるかが、ドラマなのである。
2013年12月08日
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