2013年12月09日

上手(かみて)と下手(しもて)

日本の舞台演劇の用語だが、
歌舞伎と関係の深い映画業界、そこから派生した映像業界の用語。
上手とは画面(舞台)右側、
下手とは画面左側を言う。

伝統的に、
上手側は支配者側、
下手側は挑戦者側、
を意味することは、知っておいたほうがよい。

このことは概ね富野由悠季「映像の文法」で説明されている。
以下、方向性を矢印で示す。

主人公は、挑戦者側の下手から登場(→)し、
敵は支配者側から登場(←)する。
戦いの結果、敵は下手側に転落(←)し、
主人公は上手側に立ち下手へ勝利を宣言する(←)のが、
基本の立ち位置による表現である。

上手側へ退場すれば敵方への移動(→)、
下手側へ退場すれば味方側への帰還(←)を意味する。

下手から上手への移動は挑戦や上昇(→)であり、
上手から下手への移動は威圧や妨害や転落(←)である。


伝統的な舞台演劇では、これが守られているという。
画面(舞台)の左と右は、意味が異なるというのだ。
僕は歌舞伎には詳しくないので、
演目のどのくらいがそれが守られているかは分からない。
が、上手と下手の関係は、直感的に理解できる。
逆の左右で考えると気持ち悪い、という生理的感覚がそれを保証する。

昨今のテレビドラマや映画では、無知な人が多いから、
このように物語を上下(かみしも)で表現する技術を持った人が減っている。

上手に立ち、下手側を見る顔をアップで捉えることを、
ハリウッドアングルという。(右利きの漫画家は、この向きにアップを描きやすい)
女優を撮るとき、この向きのほうが美しく見えるという経験則だ。
ラブストーリーの場合、切り返しは男優になるから、
男は(→)を向き、女は(←)と向く芝居が撮られる。
つまりこれは、上下(かみしも)で考えれば、
男は挑戦者として、チャンピオンであり恋の支配者である女に、
挑む(口説く)ことを暗示している。
ハリウッドアングルは、とくに70年代までは意識されたから、
伝統的な口説き場面は、ほぼこの関係で撮られた筈だ。
逆に、女が男に告白するような、
現代的なラブストーリーでは、
女が(→)を向き、イケメンの男が(←)と待ち構えているアングルが増えた。
そして、口説きが成功したあとは、
口説いた側は上手へいって見下ろし、
口説かれた側は下手から見つめ上げる、
という構図になるはずである。

上手と下手は、意味として非対称であることを、
ちゃんと分かっている人は少ない。
が、古典的名作は、大抵こうなっている。
(統計を取った訳ではないが、僕の経験上そう)


以上の前ふりは、演出論であり、
脚本家が知らなくてもいいことかも知れない。

が、重要なのは、
そのような立ち位置の変化があるような物語が、
物語の本質であることは、知っておくべきなのだ。

最初は主人公は挑戦者だ。
敵は支配者だ。
それを逆転することが、物語の本質なのだ。


またまた風魔の例を出すが、
風魔と夜叉が対面する場合、必ず風魔下手、夜叉上手を徹底している。
OPの冒頭部は、上下をわざと逆にした。
その後の対面にカウンターを当てるためだ。
「いけちゃんとぼく」のクライマックス後、また来いよとヨシオが言うのは、
勝利者である上手側である。



映画は、演劇から出発した。
演劇の上下(かみしも)の表現文法は、
映画の画面の左右に、密かに息づいている。
3D映画を僕が映画と認めがたいのは、
奥行きがあるゆえに、この上手と下手の文法が通用しづらいからだ。
映画の絵は、演劇の舞台のように、実は平面なのである。
posted by おおおかとしひこ at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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