脚本や物語は、時間軸を持つ芸術である。
時間というものについて深く考えることは重要だ。
空間を我々は自由に移動できるのに、
時間を自由に移動できない。
映画は一見平面だが、上下左右だけでなく、奥の情報も持っている。
手前と奥に人物を配置する演出は常套だ。
つまり、映画空間は3次元と、自由に移動出来ない1次元から出来ている。
この、時間の特徴について考えよう。
時間には締め切りがある。ものごと、命。
失われた時間は取り戻せない。
時期尚早、タイミングばっちり、手遅れ、間に合わないがある。時を選ぶ。
過去へは戻れない。戻るSF物語はタイムパラドックスかループとの闘いに。
時が傷を癒すことがある。
忘れることもある。
判断の遅れがある。
一定の時間がかかるものがある。
一瞬で変わるものもある。
スピードというものがある。
覆水は盆に戻らない。
可逆変化もあるが、なんらかのコストを払う。無料でも時間を払う。
知る前と知ったあとでは、別物だ。
永遠に同じものはない。幸せは一瞬。
飽きることがある。
気持ちは時に応じて揺れ動く。気持ちにおいても不可逆がある。
事前に準備する、あとづけがある、など、ある時を基準とした考え、行動がある。
いつからそれが始まったか、あとから遡らないと分からないものである。
展開というものがある。
未来は完全には分からない。
過去を調べると新しいことがわかったりする。
未来を予想することが出来る。予想外のことがある。
過去を反省することが出来る。認識を誤ることがある。
繰り返しを認識出来る。
何も変化がないのは退屈だ。
変化の連続が時を刻み、時間的軌跡になる。
変化とはなにかの物理的変化と、人間の内面的変化のことだ。
変化しないものは死だ。生とは展開しつづけることだ。
偶然という奇跡がある。
必然的結果もある。
過去と現在を結びつけて考えることが出来る。理屈という糸だ。
時間差というものがある。
皆カレンダーや時計をもち、それを基準にしている。
はじまったばかりという感覚、終わりがそろそろという感覚、
一周まわったという感覚、逆順だという感覚、途中だという感覚がある。
テンポの感覚がある。テンポが合わない時もある。
理解するのと、展開するテンポが、合っているときもちぐはぐな時もある。
ものごとには順序がある。
順序や時間の省略がある。
あることをふまえたあることがある。
どのようなものであれ、直前のあることの影響を受ける。
忘れた頃、思い出させることがある。
二つ以上の選択肢のどちらかを選んだら、選ばなかった方がどうなったかは知ることが出来ない。
元○○、かつて○○だったが今は△△、などの過去がある。
後悔があり、建て直す未来がある。
そもそも、有限の長さの尺で、劇的なはじまりと劇的な終わりがある。
などなど。
これらは、時間というものがなければあり得ないことである。
演劇、映画、ドラマだけが、
これを「リアルタイム」で扱う。
これらを使いこなせてはじめて時間軸を操っていると言える。
絵画、写真、彫刻、デザインなどには、
この時間というものはない。
時間の魔術は、時間軸を持つ芸術特有のものだ。
例えばアートディレクターのつくるCMには、
この時間の概念がほとんどない。
「ある状態」をポスターのように撮るだけだ。
「ある状態のがらりとした変化」と「変わった意味」が時間軸だ。
一方ムービー系のつくるCMには、きちんと時間的変化の面白さがある。
(最近減った)
あなたは、時間の性質を意識して物語を書いているか。
直感的には分かるが、たまにはこのように自分の武器を確認することも大事だ。
2013年12月17日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック