2013年12月17日

時間という魔術

脚本や物語は、時間軸を持つ芸術である。
時間というものについて深く考えることは重要だ。

空間を我々は自由に移動できるのに、
時間を自由に移動できない。
映画は一見平面だが、上下左右だけでなく、奥の情報も持っている。
手前と奥に人物を配置する演出は常套だ。
つまり、映画空間は3次元と、自由に移動出来ない1次元から出来ている。

この、時間の特徴について考えよう。


時間には締め切りがある。ものごと、命。
失われた時間は取り戻せない。
時期尚早、タイミングばっちり、手遅れ、間に合わないがある。時を選ぶ。
過去へは戻れない。戻るSF物語はタイムパラドックスかループとの闘いに。
時が傷を癒すことがある。
忘れることもある。
判断の遅れがある。
一定の時間がかかるものがある。
一瞬で変わるものもある。
スピードというものがある。
覆水は盆に戻らない。
可逆変化もあるが、なんらかのコストを払う。無料でも時間を払う。
知る前と知ったあとでは、別物だ。
永遠に同じものはない。幸せは一瞬。
飽きることがある。
気持ちは時に応じて揺れ動く。気持ちにおいても不可逆がある。
事前に準備する、あとづけがある、など、ある時を基準とした考え、行動がある。
いつからそれが始まったか、あとから遡らないと分からないものである。
展開というものがある。
未来は完全には分からない。
過去を調べると新しいことがわかったりする。
未来を予想することが出来る。予想外のことがある。
過去を反省することが出来る。認識を誤ることがある。
繰り返しを認識出来る。
何も変化がないのは退屈だ。
変化の連続が時を刻み、時間的軌跡になる。
変化とはなにかの物理的変化と、人間の内面的変化のことだ。
変化しないものは死だ。生とは展開しつづけることだ。
偶然という奇跡がある。
必然的結果もある。
過去と現在を結びつけて考えることが出来る。理屈という糸だ。
時間差というものがある。
皆カレンダーや時計をもち、それを基準にしている。
はじまったばかりという感覚、終わりがそろそろという感覚、
一周まわったという感覚、逆順だという感覚、途中だという感覚がある。
テンポの感覚がある。テンポが合わない時もある。
理解するのと、展開するテンポが、合っているときもちぐはぐな時もある。
ものごとには順序がある。
順序や時間の省略がある。
あることをふまえたあることがある。
どのようなものであれ、直前のあることの影響を受ける。
忘れた頃、思い出させることがある。
二つ以上の選択肢のどちらかを選んだら、選ばなかった方がどうなったかは知ることが出来ない。
元○○、かつて○○だったが今は△△、などの過去がある。
後悔があり、建て直す未来がある。
そもそも、有限の長さの尺で、劇的なはじまりと劇的な終わりがある。

などなど。


これらは、時間というものがなければあり得ないことである。
演劇、映画、ドラマだけが、
これを「リアルタイム」で扱う。
これらを使いこなせてはじめて時間軸を操っていると言える。


絵画、写真、彫刻、デザインなどには、
この時間というものはない。

時間の魔術は、時間軸を持つ芸術特有のものだ。

例えばアートディレクターのつくるCMには、
この時間の概念がほとんどない。
「ある状態」をポスターのように撮るだけだ。
「ある状態のがらりとした変化」と「変わった意味」が時間軸だ。
一方ムービー系のつくるCMには、きちんと時間的変化の面白さがある。
(最近減った)


あなたは、時間の性質を意識して物語を書いているか。
直感的には分かるが、たまにはこのように自分の武器を確認することも大事だ。
posted by おおおかとしひこ at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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