タイトルが、場所の名前の映画。
ホテル○○とか、特に限定された場所の名前は大体駄作。
何故なら、場所以外それに売りがなかったってことだから。
面白い逆境のシチュエーションも、
面白いコンフリクトも、
面白いコンセプトも、
ドラマチックな場面も、
斬新な組み合わせても、
テーマも、
主役も、
ないってことだから。
場所の記憶や追想が最も強い感情だということは、
それ以上に強い、人の感情やドラマがないということだ。
写真集や絵画ならば、それも可能だろう。
映画においては、
一番のものはお話である。
お話とは何かについては、様々な角度から書いた。
その中には、最も強いものが場所であるべきとは、書いていない。
ついでにもうひとつ。
近年のシネスコ映画に名作なし。
シネスコ導入期のシネスコ映画は、才能ある野心家達が、
金余る人達と上手く組んだ名作がある。
アラビアのロレンスとか。
が、その時期以降のシネスコは駄作である。
シネスコの横に広い画面は、
絵を描くにはいいフレームだが、
芝居を撮るには横長すぎる。
広い絵を撮るには向くが、アップや上半身のシングルショットを撮るには横長すぎる。
だから、風景や「映画っぽい絵」を撮ることばかりで、
肝心のドラマを撮ることに、注力されない。
駄作の条件は、実は簡単だ。
人間のドラマが、中心にいないものだ。
駄作の条件を考えることは、名作とは何かを考える逆命題だ。
自分なりの考察をしてみると、
映画には何がなければならないか、自分の本心を知ることができる。
2013年12月20日
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