2013年12月20日

注文がきちんと出来るか

注文の上手い人は、なかなかいない、という話。
それは、自分もふくめて。

CM監督をはじめて15年になるけど、
本当に言いたいことを決められない人達が多い。

表現の下手な人は、
特に、「言いたいことを決める」と「それをどう言うか」が違うことを知らない。

例えば、「あいしてる」というたったひとつの意味を伝える為に、
世の中に何万のラブソングがあることか。

とある意味を伝える「やり方」を創意工夫することを、クリエイティブという。
結婚してください、という意味を伝えるのに、
指輪を贈るのはストレートなやり方で、
噴水の前でオーロラビジョンから告白して、
生オーケストラを演奏させるサプライズは、
ひとつのクリエイティブ表現で、
はじめて会った場所や思い入れの深い場所で、
二人の初期の小さくて大事な思い出を書きかえるようなプロポーズも、
ひとつのクリエイティブ表現だ。

ある意味を伝えるやりかたは、無数にある。
その、斬新で良い新しいやり方を創造することが、クリエイティブ表現である。


ところが、最近のCMは、
「ぎりぎりまで(撮影直前、編集直前、仕上げ直前)言いたいことが決まらない」
ということが増えた。
不景気ゆえのどうしていいか方向性が定められない不安か、
「あれも言うべきか、これも言うべきか、あれは言わなくてもよいか」と迷うケースや、
「我々が言いたいことは、こういうことだったのか」と具体物を見てから気づくケースが、
本当に増えた。

かつては、
明確なオリエン(オリエンテーション。商品のここを売りたいというポイント)
があり、
それに従って我々が頭を捻り知恵を絞り、最先端のクリエイティブ表現を作り出していた。

最近はオリエンが二転三転する。
「なんといっていいのか分からない」という状態といってよい。
そんな状態でモノをつくっても、
いいものが出来る訳がない。
オリエンに対して、クリエイティブ表現のコンセプトを模索し、
各スタッフと練り、一流のモノを仕上げるには一ヶ月はかかる。
最近は一ヶ月という締め切りだけがあって、
完成ぎりぎりまで言いたいことが決まらないから、
何が来ても成立するような表現で保険をかけるしかない。
つまり、表現がいつまでたっても鋭く、個性的に、深くならない。
最近のCMに、ストレートトーク(商品の特徴を、カメラに向かってしゃべるだけ)
が多いのもそのためだ。
ぎりぎりまで原稿が決まらないからだ。(ひどい場合は、撮影中に変わる)
これでは、「あいしてる」と決めてからそれをどういう歌に乗せるかを一ヶ月考えるクリエイティブ表現は、
一生出てこない。
なんせ言うことを「あいしてる」にしましょう、に一ヶ月かかるから。

言いたいことを正確に決めようとするから、そうなる。
誤解やクレームを恐れるから、そうなる。
びびっている人の表現は、心に刺さらない。
自信のない子の俯いた告白のように。


言いたいことを決めるのは、覚悟である。
他にどう思われてもいいから、たったひとつのこのことだけは伝えたい、
わかってほしい、と思う覚悟が、見ている人に伝わる必死さを生む。

CMが機能していた時代は、広告主にその気持ちがなくても、
我々が必死だった。
テレビでブームを起こすように、覚悟を決めて日々闘っていた。
それが強い、流行り、世の中が動くCMをつくらせていた。
今、その覚悟は誰にもない。
僕にあっても、誰かがクレームを恐れたり、誤解を恐れる。
チェック機能だけは多くなり、関わる人が多いほど、その合意は、
「出来るだけ事故のないもの」であり、
「波紋を呼んだとしても、たったひとつのことが深く一生心に刺さること」ではない。
ローリスクノーリターンしか生まない。
多人数の決定は、最大公約数だ。
人数が増えるほど、最大公約数は小さくなる。
出来るだけ強く、深く、派手に、と考える表現とは真逆のベクトルだ。



CMをつくろうとしているどこかの企業のことなら他人事だが、
これを自分の表現として考えると、
途端に刃が己に向けられる。

あなたには、言いたいことがあるのか。
まずそれを自分にオリエンしてみよ。
言いたいこととは、個人の私怨や自慢ではなく、
作品のテーマのことである。

それは練りながら変わったりもする。
オリエンが変われば、創作物は一から作り直しである。
オリエンを変えた自分にブツブツ言いながら、
その伝えたいことありきで、それを伝える最も斬新で、
最も強く、最も面白い、最もエッジの効いている、
最も深いアイデアを、考える。

テーマは、細かいところまで決めない。
誤解を生もうが曲解されようが波紋をよぼうが、
たったひとつのこれさえ深く刺さるなら、それでよい、
そのひとつのことを、ざっくり決める。
それさえ伝われば、多少意味が変わって伝わっても構わない、大雑把なつくりだ。

人はテーマにまず触れず、まず触れるのは表現だ。
表現がつまらなかったら、テーマは見てくれない。
言いたいことや、伝えるべきことなんて、
手紙で伝えていればいい。
大体が伝わればいいという覚悟を決めよ。


そのように、己に注文せよ。
あとは、うんうん唸った自分が、凄い表現を思いつく。
最初のイメージとは勿論違う。
だって最初のイメージなんて、素人のイメージする小さな範囲だ。
うんうん唸った末の凄い表現が、
多少曲解されても、太く、鋭く、深く、強く、
テーマを伝えていれば、それは表現として素晴らしいのだ。

注文上手になろう。
それは、大体の目的地を伝えることだ。
ルートや時々の判断は、プロに任せるのだ。
途中失態があろうがやり方が気にくわなかろうが、
大体の目的地にたどり着けばそれでよいのだ。

それか、プロのことを徹底的に調べ、
そのプロが妥当なことをしているかどうか、
本人以上に理解しない限り、正しい指示などは出来ない。

中途半端な注文が、注文主にとってもプロにとっても、
不幸で不快な結果になる。


目的地を決めよう。
ふたつみっつなど、貧乏なことを言うな。
たったひとつの、これさえ伝われば何でもいい、
マックス凄いことをやっとくれ、
と、自分に注文してみよう。
posted by おおおかとしひこ at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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