2013年12月23日

ルールを示せ

21世紀の映画には、順目もあれば逆目もある。
王道、ベタ、変化球、わざと外し、ノールールである。
ただ。ひとつだけルールがあるとしたら、
序盤の比較的最初の方に、作品のルールを提示する、
ということだ。

この話はシリアスものなのかコメディなのか、
甘いラブストーリーなのかホラーなのか、
ハードSFなのか、荒唐無稽なのか、
リアルな刑事ものなのか、ファンタジーなのか、
「世界の基本ルール」を、なるべく序盤で示すことである。

「一見ラブストーリーに見せといてホラー」な場合、
それがまずラブストーリーに見えなくては意味がない。
それがコメディに見えても、つまらない話に見えてもいけない。
そして、二段構えのホラーになった瞬間、
これがホラーに見えなければならない。
刑事事件ものや、コメディに見えてはいけない。
「恐ろしい怪物または人に殺されそうになって追われる」が
基本の世界ルールで、「その怪物は、物理的に倒せる」
(ゴーストバスターズのようなSF的道具ではなく、
現実的な方法で)ことが自明であり、
なおかつ「恐ろしいことがメインディッシュであり、
コメディ的な状況はサイドディッシュである」
(逆にはならない)が自明でなければならない。
もしホラーコメディになるならこの限りではないが、
ホラーになると決まっているのなら、ホラーのルールを示さねばならない。

話が随分経過してからジャンルがまるで変わってしまう映画は、たまにある。
それは、前半がタルイか、仮に面白かったらそのままでよかったのに、
という感想になる。
いずれにせよ、最高の作品にはならない、惜しいレベルということだ。

前半戦と後半戦でジャンルが変わる映画に、
「フロム・ダスク・ティル・ドーン」がある。
吸血鬼モノとは聞いていたが、まさかあそこまでスプラッターとは知らなかった。

後半戦のかわりっぷりは、驚きよりも、違和感ばかりだ。
後半戦がやりたいなら、最初からそれでやれよ、と言いたくなる。
あの館にたどり着いた面々の序盤と、そうなるように仕組んだ吸血鬼たち、
というのが前半戦のほうが、余程話がスッキリする。
冒頭に吸血鬼のシーンがあって、
そこから主人公たちの話になるだけでも随分印象は変わるだろう。

つまりは、この世界の基本ルールが、あの映画では示されていない。
だから後半戦のかわりっぷりが、悪い意味でのオカシサになるのだ。
その悪乗りぶりで映画史に残るという、逆目だけの映画である。
タランティーノが関わるとすぐこれだ。
破壊を目的にしているからだ。


コメディ作品は、
冒頭から爆笑の渦に巻き込み、この世界ではシリアスなことはなく、
人の力や団結や楽観で、なんとかなることを示す。
社会派なら、
正義や悪や権力について示す。
SFなら、
この世界特有のワープ航法とか、世界の成り立ちについて示す。

例えば、
ホームズばりのミステリー仕立てではじめておいて、
犯人は宇宙人だった、なんて落ちが来たらふざけんな、
となるだろう。
リアル世界ベースの犯罪トリックを暴くことがメインのジャンルで、
そのルールにない宇宙人のオーバーテクノロジーを使われては、
ジャンルが破綻してしまう。(例: インディジョーンズ4)
最初に宇宙人の存在を出し、それをも含めたトリック暴きである、
というように序盤でルールを決めれば、問題は起こらない。
(その宇宙人ミステリーが面白いかどうかは脚本次第)

その最初のルールは、伏線とも言える。
使わない伏線はない。
序盤の世界ルールは、最後まで使われる基本ルールとなるのが、
物語のお約束である。


ギャグをやりたいなら初手で、
シリアスをやりたいなら初手で、
頭いいやつをやりたいなら初手で。
その温度感は、最後まで貫かれないと、
途中で狂った、というものになる。

最初に怪物に食われるところから始まるモンスターもの、
最初にとんでもないやり方で犯人を倒す刑事もの、
最初に人が死んでも生き返るコメディ、
それを見せておけば、そのルールで見世物がはじまる。
逆にそのルールから逸脱すると、話が違うとなる。
これも含めて、伏線は初手に仕込むのだ。
posted by おおおかとしひこ at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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