映画は、異常事態を描く。
作者はそれに慣れているが、
観客は、その異常事態のことについて無知である。
そのとき、上手く誘導するやり方がある。
それを異常事態だとリアクションする人を出すとよい。
主人公がそれを異常事態だと思ってもよいし、
それに慣れている設定なら、
それを見た別の人が異常事態だとリアクションするとよい。
これをバランシングキャラクターと呼ぶ。
バランシングは、市井の通行人でもよいし、
主要登場人物(これが恐らくベスト)でもよいし、
事件の匂いを嗅ぎ付けた新聞記者でもよい。
(ヒーローものに新聞記者はよくあるパターンだ。
「マン・オブ・スティール」ではそれを上手く使っていた。
映画自体はいまいちな作品だが)
社会的常識を持った人が、それは変だ、おかしい、
と言うことで、
観客は、やはりこれは異常事態なのだ、と確認出来る。
ドラマ「風魔の小次郎」では、忍びの殺し合いを知った姫子が、
警察に相談するべきか、という常識的対応をするシーンがあった。
いやいや警察の出る幕じゃないよ、これは忍びだぜ?
と、観客の誰もが思う。
その瞬間、忍び同士の殺し合いという異常事態が、
異常事態なんだなあ、と認識され、
安心してその異常事態のその先を楽しむ裏づけになるのである。
この話は、ただでさえサイキックソルジャーや伝説の聖剣などの、
異常事態が頻発する物語だ。
(しかも直前の話で、サイキックと聖剣の大バトルがあった直後だ)
そこでこの場面の姫子をバランシングキャラクターにして、
今起こっているのは、やっぱ異常事態だよね、
と認識させるのである。
バランシングキャラクターの配置は、
観客に異常事態だと認識させるためではない。
観客は、異常事態を楽しみに見に来ている。
だけど理性が邪魔するのだ。
こんな異常事態あるわけないよ、と。
しかし、スクリーンの中の人も異常事態だと思っていることがわかると、
途端にスクリーンの中に入る許可をもらったように、
異常事態を楽しみはじめるのである。
本当は彼の家に行きたいけど、
ヤリマンだと思われたくない女の子に、
「ウチの猫見に来る?」と言い訳を用意してあげる
(私はセックスをしにきたのではなく、猫を見に来ただけで、
セックスはその場の流れで…)
ことと同じだ。
「これは異常だよ」と言うのが、言い訳になって、
異常事態に集中出来る逆説なのである。
応用編としては、
「そんなことあるわけないだろう」と否定する人物を出すとよい。
例えば幽霊の存在を否定する教頭先生だ。
次に、その人物を悪役に仕立ててしまい、その悪役がぎゃふんとなる場面をつくる。
教頭先生は嫌われもので、座ろうとした椅子を幽霊にどけられてひっくり返り、
「何ザマス!?」と異常事態を認識するようにすればいいのだ。
強力な反対者が意見を変えることで、
観客は、いつの間にか異常事態こそ真実であるように信じてゆく。
2013年12月25日
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