2013年12月25日

異常な状況の妥当な描き方

映画は、異常事態を描く。
作者はそれに慣れているが、
観客は、その異常事態のことについて無知である。
そのとき、上手く誘導するやり方がある。

それを異常事態だとリアクションする人を出すとよい。


主人公がそれを異常事態だと思ってもよいし、
それに慣れている設定なら、
それを見た別の人が異常事態だとリアクションするとよい。
これをバランシングキャラクターと呼ぶ。

バランシングは、市井の通行人でもよいし、
主要登場人物(これが恐らくベスト)でもよいし、
事件の匂いを嗅ぎ付けた新聞記者でもよい。
(ヒーローものに新聞記者はよくあるパターンだ。
「マン・オブ・スティール」ではそれを上手く使っていた。
映画自体はいまいちな作品だが)
社会的常識を持った人が、それは変だ、おかしい、
と言うことで、
観客は、やはりこれは異常事態なのだ、と確認出来る。

ドラマ「風魔の小次郎」では、忍びの殺し合いを知った姫子が、
警察に相談するべきか、という常識的対応をするシーンがあった。
いやいや警察の出る幕じゃないよ、これは忍びだぜ?
と、観客の誰もが思う。
その瞬間、忍び同士の殺し合いという異常事態が、
異常事態なんだなあ、と認識され、
安心してその異常事態のその先を楽しむ裏づけになるのである。
この話は、ただでさえサイキックソルジャーや伝説の聖剣などの、
異常事態が頻発する物語だ。
(しかも直前の話で、サイキックと聖剣の大バトルがあった直後だ)
そこでこの場面の姫子をバランシングキャラクターにして、
今起こっているのは、やっぱ異常事態だよね、
と認識させるのである。


バランシングキャラクターの配置は、
観客に異常事態だと認識させるためではない。

観客は、異常事態を楽しみに見に来ている。
だけど理性が邪魔するのだ。
こんな異常事態あるわけないよ、と。
しかし、スクリーンの中の人も異常事態だと思っていることがわかると、
途端にスクリーンの中に入る許可をもらったように、
異常事態を楽しみはじめるのである。

本当は彼の家に行きたいけど、
ヤリマンだと思われたくない女の子に、
「ウチの猫見に来る?」と言い訳を用意してあげる
(私はセックスをしにきたのではなく、猫を見に来ただけで、
セックスはその場の流れで…)
ことと同じだ。
「これは異常だよ」と言うのが、言い訳になって、
異常事態に集中出来る逆説なのである。


応用編としては、
「そんなことあるわけないだろう」と否定する人物を出すとよい。
例えば幽霊の存在を否定する教頭先生だ。
次に、その人物を悪役に仕立ててしまい、その悪役がぎゃふんとなる場面をつくる。
教頭先生は嫌われもので、座ろうとした椅子を幽霊にどけられてひっくり返り、
「何ザマス!?」と異常事態を認識するようにすればいいのだ。

強力な反対者が意見を変えることで、
観客は、いつの間にか異常事態こそ真実であるように信じてゆく。
posted by おおおかとしひこ at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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