僕の経験論。
まず嘘の大体を考えてから、
本当のことを調べておくこと、だと思う。
リアルはどんなかを知っていると、
自分の語ることの、どこが嘘でどこが本当か、
分かりながら語ることになる。
リアルを調べるときに、
こんな嘘をつきたいのだが、と思いながら調べると、
うまく嘘の周りにリアルを並べることができる。
リアルをなるべく詳しく調べておく。
こういうことなら、こういうことではないか、
という関連を、調べておく。
真実はひとつの点でなく、様々な点のネットワークで構成されている。
どの世界でも、リアルはうまいこと出来ている。
そこで無茶できない仕組みというか、
関わる人々の無言の力の拮抗のようなものを、
理解しておくべきだ。
何故リアルでは○○が起きないのか、△△だからだ、
ということが、答えられるようになるまで、
その世界でのリアルを知っておく。
映画の嘘とは、ひとつの願望である。
宇宙人とか、ロマンスとか、大冒険とか、
この狭苦しい世界から抜け出す願望のことである。
その願望は、リアルには滅多にない。
何故ないかを詰めておく。
何故今回だけその嘘が成立するのか、
その理由を考えておく。
「ロッキー」は、
世界戦のチャンス、というのが嘘であり、願望である。
自分に世界戦が来ることはない。
ないからこそ、もし自分にこんなチャンスが訪れたら、
と夢想するのだ。
それは、チャンスが訪れて欲しいという願望のことである。
何故引退寸前のイタリア人(白人社会での下層民)のボクサーに、
世界戦が舞い込むのか。
チャンピオンの試合相手が拳を怪我した、というアクシデントがひとつ。
(これはボクシングの世界では時々あるリアル)
大興行なので、今更中止すると莫大な損害が出る、という理由がひとつ。
(このリアルは、人生で時折経験する)
そして、ボクサー名簿で、「単に面白い名前だったから選ばれた」
という理由がひとつ。
(人間の行動で、いかにもありそうだというリアル。
ご都合主義じゃねえの?というツッコミをかわすように、
「アメリカンドリームマッチと名づけよう。アメリカはチャンスの国だ」
とアポロが思いつくようになっている)
しかも、試合のオファーがすぐは来ない。
ロッキーが、誰にも言えなかった引退の二文字を口にして、
弱気になっていたところに、
最初はスパーリングパートナーと本人が勘違いして事務所に出向く、
という丁寧なリアルが描かれている。
(事前に憧れのボクサーの一人だ、と描いておいて、
尊敬するアポロの為だ、何でもやるぜ、と前置きするのも上手い)
見事にしつらえた高そうな調度品を、ロッキーが貧乏人のように誉めて、
居心地悪く滑っている感じもリアルだ。
全ては、「世界戦のオファーをされる」という、
大嘘の為に仕組まれた、リアルな段取りだ。
本当かどうかは、この際重要ではなく、
「こういうことなら、本当にあるかもしれない」
と思われることが大事なのだ。
ありそう、よりも、あるかも、の方がより夢想的だ。
嘘をつくコツは、
一個大嘘をついたら、あとは徹底的にリアルにすることだ。
ひとつも疑問を持たれる所があってはならない。
ガンダムは、ミノフスキー粒子と言う嘘から、
人型兵器の有視界戦闘のリアルを徹底させている。
実写版風魔の小次郎は、忍びというリアルと嘘の狭間を上手く使う。
漫画的だった原作に、もしこれが本当の事だったら、
というリアルな設定、会話、考え方が、嘘以外のリアルを埋めていく。
リアリティーが、嘘の世界を一見本当に見せる。
そのリアリティーは、頭で考えたものではなく、
もっと体験的なリアルだ。
その為に、取材をするのはとても良いことだ。
全てをリアルで固め、
どんなツッコミも返せるようにその世界を知ったら、
ひとつだけ大きな嘘をつく。
それは、皆の願望である。
その嘘が本当にあるかのように、周りのリアルが助ける。
嘘だと分かっていても、信じたい嘘をつくのが、
嘘をつくときのコツだ。
その嘘以外全てリアルだから、
その嘘もリアルの「はずだ」と錯覚する。
そのとき、観客はもう嘘を嘘だと思わず、
「この世界ではリアルなこと」として、
話に没頭しはじめる。
2013年12月26日
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