面白いとは何か、という議論はおいといて、
脚本には、以下の9つの階層の面白さが「全て」必要だと考える。
これらの階層の面白さは、全て違う質の面白さだ。
全てが真新しい必要はないが、
どれかは突出して斬新で真新しくなければならない。
そして、ひとつでも面白くない階層があると、
他がどんなに面白くても、詰まらない脚本である。
1 コンセプトの面白さ
2 導入の面白さ
3 主人公への興味→感情移入の面白さ
4 ACT1の30分の面白さ
5 本題の面白さ(ACT2)
6 焦点が常に保たれていることの面白さ
7 登場人物の面白さ
8 クライマックスの面白さ
9 テーマの面白さ
1 コンセプトの面白さ
「この作品は、どんなコンセプトか」という一行で示されるもの。
あらすじでもログラインではなく、もっと短いひとこと。
「マトリックス」なら「電脳空間での異次元バトル」、
「ジャンゴ繋がれざる者」なら「黒人ガンマンと冬景色の西部劇」、
「ガンダム」なら、「大量有人ロボット兵器による戦争もの」、
「ジョーズ」なら、「巨大鮫vs人の鮫退治もの」、
などの、超大雑把なものだ。
今回のサーカスの目玉は、ライオンの火の輪くぐり、と一言でいうようなもの。
今回の趣向、といってもよい。
これが、フレッシュであるほど、人目を引く。
フレッシュかどうかは、同時代的感覚を、どれくらい持っているかによる。
手垢がついているかどうかは、映画だけでなく、
世間の流行、テレビ、世界的な流れなどにも左右される。
(例えば、登場時はセンセーショナルだったゾンビは、
もはや手垢のつきまくったジャンルだ。現代につくられるゾンビものは、
いかにジャンルを若返らせるかという視点抜きにはつくれない)
テーマは内包する必要はない。
作品のワンビジュアル、全体のイメージみたいなもの。
これが面白そうと思われる、または、
似た感じのかつて面白かった作品があること。
ジョーズは、怪物退治ものの、今回のモンスターが巨大鮫だ、というコンセプトだ。
ガンダムは、戦争ものの文脈でのロボット兵器、が当時斬新だった。
そこにわくわくする構図がありそうか、
またいつものハズレではなさそうか
(ベタなコンセプトに新しい要素がありそうか)、
などが含まれることが重要。
実は、脚本家は、なかなかこの一行にたどり着くことができない。
自分の書いたものを、そこまで突き放して見れないからだ。
多少嘘でも、一行でコンセプトを書いてみよう。
例えばスポーツ新聞ぐらい頭の悪い記事内で紹介されるとして、
どういう一行、一言で書かれるか、というぐらいのレベルで考えるとよい。
あるいは、大阪のオバチャンが、この映画を隣近所にどうやって説明するか、
という想像でもよい。驚くほどオバチャンは、ショウの本質的な部分を言い当てる。
深いテーマも、動的ログラインも、そこからは抜け落ちる。
深いテーマを持ち、面白そうなログラインを持つ、○○、
の最後の一言を書いてみる。
それは、作品のおおまかなビジュアルに過ぎないだろう。
いいかい。ほとんどの人は、テーマやログラインに興味はない。
恋愛もの、中世もの、ファンタジー、SF、ヒーローもの、感動作、
そんな粒度で、映画を見ている。
昔の映画館は、手描きの看板でふたつかみっつの、
上映中や次に来る映画を示していた。そんな感じだ。
その程度の情報で、人は見るか見ないかチョイスするのだ。
まず、このワンビジュアルが「面白そうな」(辛気臭く、失敗したと思わない)
ものであればよい。
大抵、全く斬新ではなく、大体のジャンルを示すレベルだ。
実は、このときタイトルが非常に重要な情報になる。
よくわからないカタカナや記号は、情報量0だからオススメしない。
作品のジャンルや面白さやテーマが透けて見える、
魅力的なタイトルは、それだけでコンセプトの面白さに直結する。
新しさも、そこで表現出来る。
(例えば分かりやすいのは「大怪獣、東京に現る」だろう。
タイトルに関しては、また書くかもしれない)
ワンビジュアルが、有名俳優がただ並んでいるだけのものは、
僕は鼻で笑う。それは、コンセプトを欠いていることの無意識の表れだ。
コンセプトの面白さは、
客を席まで連れてくる、表面の面白さである。
以下は、中身の面白さだ。
2 導入の面白さ
異物論でいうところの、異物との出会いである。
それ以前の、オープニングの面白さでもよい。
映画館の暗闇が、スクリーンに火が灯る。
その瞬間、徐々に何かが起こる。この面白さである。
ここから既に面白くないのは、却下だろう。
ファーストロール15分の面白さ、といってもよい。
ここが脚本の緒戦である。ここで失敗すると、映画は失敗だ。
15分で出来ることはたかが知れている。
シンプルで面白いものに、精錬すべきである。
なんだか面白そうなことが始まっているので見ていたら、
いつの間にか気になる話になっている、
もうちょっとこれを見ていたい、が、理想だと思う。
3 主人公への興味→感情移入の面白さ
「感情移入とは何か」などでも論じたが、
映画は主人公のものだ。
主人公が面白くないと、面白くない。
風魔の小次郎のような、コメディアンのように面白いことは、
必要条件ではない。
たとえ平凡で特殊能力がなくとも、
主人公が陥った状況が面白かったり、
感情移入に足るエピソードがあればよい。
特殊能力があったとしても、
特殊な人間でありながら、我々と同じ人間臭い所があると、
感情移入の糸口になる。
また、主人公は、言い出しっぺになることが肝要だ。
自ら動くことが重要だからだ。
他の人にやってもらう主人公には、物語的な感情移入は出来ない。
4 ACT1の30分の面白さ
冒頭30分の面白さは、本当に難しい。
異物と出会った主人公やその他の人々、
この物語を語る上での前提(即ち伏線)などの日常、
異物からはじまった事件の波紋の波及、
そして、本格的解決(冒険)への旅立ちや、
メインコンフリクト、センタークエスチョンが明確になる
第一ターニングポイント、
この30分を面白く語ることが出来れば、
映画は1/3は成功したようなものだ。
が、たとえこの30分が凄く面白かったとしても、
次以降で駄目になる映画はとても多い。
「かいじゅうたちのいるところ」「ジャンゴ繋がれざる者」
などがよい例だ。この二本は、冒頭30分はホントに面白い。
逆に、後半が凄くよいのにここでやや失敗した
「いけちゃんとぼく」も挙げておこう。
5 本題の面白さ(ACT2)
映画の本題とは、メインコンフリクトの行方であり、
それに絡むサブプロット(サブコンフリクト)の行方である。
主人公の行動に、敵や味方や周囲が反応して行動し、
その結果状況が動く。
主人公は動きながら小目標を達成しつつ、最終目標へ向かって行く。
その根本動機はACT1で描かれていることが前提だが、
大抵、これを強化するようなエピソードが入る。
これによって、益々主人公は、最終目標を達成したくなる。
否、達成せねばならんのである。
ACT2の面白さこそが、ストーリーテラーとしての面目躍如である。
どのような面白さでもよいから、なんでもぶちこむべきだ。
クライマックスの面白さは、テーマとの関連が必要だが、
ここの面白さはそこを気にしなくてよい。
メインコンフリクトがメインテーマとの関連であり、
その結論はまだ出ないから、
テーマのサブテーマ、即ちサブプロットの結論はここで出しても構わない。
(ラストまで引っ張ってもよい)
話はうねり、方向を変え、ときにどんでん返しがある。
これらは全て、焦点とターニングポイントの一連の糸で書くことが出来る。
それらの奇想天外さ、予想を上回る面白さ、予想通りの気持ちよさ、
などの「展開の面白さ」である。
主人公の裏の面が分かるような深い話、
一旦休憩を入れるなど、世界を深く広く描いていく面白さでもある。
ひとつコツを。
クライマックスが控えているからと言って、抑えないこと。
常に物語はクライマックスを迎えていると思うこと。
常に生死を決定付けるような、凄いことが次々に起こっている、
という最大の緊張感で描くことだ。
映画は非常事態のことである。
常に緊張が強いられるのだ。安心は死である。
6 焦点が常に保たれていることの面白さ
これが欠けた映画が、実によくある。
急に、今何の話をしているんだっけ?となってしまう。
今の心配事は何か、何故心配なのか、
今やらなくてはいけない火急のことは何か、
何故それをやらなくてはならないのか、
が、すぐ抜け落ちる。
第一稿ではあっても、リライトでシーンの順番が変わったりして、その事故が起こることも。
何故必死で彼らはそれをやろうとしているのか、
常に分かるようにしよう。
作者が分かっているだけではダメで、見ている人に忘れさせてはならない。
逆に、上手く焦点が保たれているということは、
釘付けになる面白さということだ。
焦点が分からなくなると、釘が抜けるのだ。
緊張感が途切れて、やってくるのは退屈だ。
特にACT2で、その傾向が強くなる。
常に釘付けであるように。
常に心配事があるように。
常に目標が見えるように。
常に非常事態で、常に緊張して周囲に警戒するように。
映画では、安心は死を招く。
7 登場人物の面白さ
主人公だけでなく、主要登場人物(全部で5、6人)の
アンサンブルが面白いこと。
人間的に面白かったり、掛け合いが面白かったり、
対照的だったり、似ている所もあったり、
ずっとこの人間関係の中にいたいと思ったり、
それが変化していく痛みや楽しみの面白さ。
台詞、人物設計、アンサンブルの面白さ。
結局、人は人に感情移入する。
そこに面白い人、面白い人達がいれば、
それは面白い登場人物の映画なのだ。
この面白さを、出ている「芸能人」の面白さに寄りかかるのが、
アイドル映画という二流のジャンルである。
8 クライマックスの面白さ
ここが面白くないなんてことはないだろうが、一応。
クライマックスの面白さは、絵的に派手なこともある。
が、それ以上に重要な面白さは、
この作品のテーマが確定するかどうか、
という面白さなのだ。
大抵、主人公は闘う。何のために?
己の為に、人の為に。
そして、この作品のテーマが正しいことを証明するために。
(テーマは、定理のような、証明されるようなテーゼ形式で書くべきだ、
という話は以前にした)
ここで負けたら主人公は、己の意味も、ここまで協力してくれた人の思いも、
テーマそのものも、全てが無に帰してしまう。
必死で闘う主人公に、感情移入する皆はテーマの証明を予感するのである。
勿論、映画だから、ここのクライマックスに金をかけない筈がない。
存分な映画的興奮が、一挙に詰められる。
だから面白い。
9 テーマの面白さ
ラストシーンを見終えて余韻に浸るとき、
後日誰かと語るとき、
テーマの面白さこそが、話題の中心になる。
それは、絶対真理ではつまらない。
世の中こうであったらいい世の中になる、
とか、面白い、という一種の提案なのだ。
例えば「少林サッカー」というコメディのテーマは、
「素晴らしい少林拳の普及」という一見馬鹿馬鹿しいものだが、
あの映画を見て、あの馬鹿馬鹿しい少林拳が普及しているラストシーンにたどり着くと、
何故か笑いとともに、涙すらこぼれる。
少林拳が普及して良かったねえ、と。
ここまで人の態度を変えさせるのが、映画の力である。
テーマとは映画の結論であり、全編通して、感情と理屈で証明するものだ。
決して作者の言いたいことではなく、
主人公が己の命や存在意義を賭けて、証明すべきことなのである。
それが、単なる絶対真理や、俺ツエーなどの個人事情ではなく、
世間と個人にもたらされる、面白いなにものか、だと、
面白いテーマの映画になる。
映画は、リアルタイムの時間軸を持つ文学であり、ショウである。
ショウ的な部分、たとえばアクション、ダンス、一芸、エロ、グロ、
音楽、世界観のデザイン、衣装、ロケーション、動物の魅力、旨そうな食い物などは
脚本の面白さではないが、映画の面白さのひとつである。
(ちなみに、これらの面白さは、それぞれ、
アクション監督、振り付け師、一芸の芸能人、役者自身、特技監督、
作曲家と編成、美術監督、衣装デザイナー、ロケーションコーディネーター、
アニマルトレーナー、フードスタイリストという、
それ専門のスタッフが監督と相談しながら作り出すことは、
知っておいていい知識だ)
脚本は映画の全てではない。
が、最終的な「意味の面白さ」は、脚本にしかない。
この9つの階層の面白さを、
全てつくれて、一人前である。
どれかが足りないのなら、それはイマイチな脚本である。
あ、今年のワースト映画、日テレ版ガッチャマンは、
1と2しか面白くなかったですね。(それすらも甘めに採点してるけど)
あとは面白くないです。
2013年12月28日
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