世の中に脚本論は、そこここに溢れている。
なんでだろうと考えるに、
脚本とは、体を使うスポーツのようなものに近いからだと思う。
脚本を書くというのは、行為である。
こういった論文的な解説文は、行為というほどではない。
頭に浮かぶことを、まとめながら記録していくだけでよい。
エッセイとか、小説の大部分もそれでよいかも知れない。
スポーツの試合や、創作料理や、作曲や、ナンパに近い。
体を使って、新しいことを何もない空間に刻んでいくことなのだ。
(試合や料理やナンパと違い、あとで書き直しはできる。
その代わり、完璧でなくてはならない)
体でやる行為を、言葉で記述することには限界がある。
既にあるものの解説は出来ても、次に何をすべきかを、
理論立てることは難しい。
その言い方は、料理人の数だけありえる。
こうすれば旨いぜ、旨いってのはこういうことだ、不味いってのはこういうことだ、
というのを、百家争鳴になるのは、当たり前といえば当たり前だ。
料理人はすぐ作れば証明出来るが、
彼らほど我々脚本家は実地で示すことは出来ない。
だから、色んな人が色んなことを言うのだ。
僕がベースにしているのは、
シド・フィールド「脚本入門」(別冊宝島のムック、絶版)
シド・フィールド「脚本を書くためにあなたがしなくてはならないこと」
(前者はワークショップ用のテキストの翻訳、
後者はその書籍化の際に加筆しまくったものなので、複雑になってしまっている)
リンダ・シガー「ハリウッド・リライティングバイブル」
ブレイク・シュナイダー「Save the catの法則」
あたりである。
いずれも良書で、オススメだ。
ただ、ハリウッド式でしかないので、
それ以外の方法論も視野に入れる必要はある。
(各自の個性に応じて探して頂きたい)
参考までに、読破を勧める。
マスターできるかどうかは、これまた行為のハウツー本と同じく、
やってみるしかないのだけど。
2014年01月01日
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