2014年01月18日

情報の粒度

色々な人と話をすると、
情報の粒度と、頭の良さに相関性があることがわかる。

馬鹿な人間は、ものごとを荒くしか捉えていない。
単純でシンプルな機能美として捉えていればよいが、
不完全な、穴があるモデルとしてしか捉えていない。
だから簡単にボロが出る。

情報の粒度が、細かすぎるのも馬鹿である。
最も粒度を細かく把握していたとしても、
その文脈でないときに重箱の隅をつつくようなことをしても意味はない。

粒度を、適切な文脈で調整出来て、
はじめてまともな話が出来るのだ。
そもそもの理解や知識が、
繊細なくらい粒度が細かいのを前提として、
ときに省略し、ときに深く掘るべきは深く掘り、
最も荒いときですら、それが世界の写像になるように、
きちんと構造化されている。

簡単でシンプルな話こそ、実は難しい。
粒度を上げて詳しく話すことは、誰にでも出来る。
自分の身についていることなら尚更だ。
問題は、粒度を下げて大雑把な話をしたときに、
それでも本質を失わないように話が出来ているかなのだ。
そして、その場に応じて、
粒度の目盛りをアドリブで調整出来るかなのだ。


馬鹿な人は、どれも出来ない。

話の上手い人は、
そもそも最高の粒度で世界を捉えていて、
粒度を最も荒くしたときでも本質を失うことなく、
むしろ本質をそのように捉えていて、
場の文脈に応じて、
アドリブで粒度を調整出来る人のことだ。

時に野卑に、時に高貴に、時に繊細に、時に勇猛に、
時に楽しく、時に知的に。
その色すらも変えられる人のことだ。

馬鹿に基準を合わせる必要はない。
あなたはあなたの話を磨き、
時に応じて変ずればよい。
posted by おおおかとしひこ at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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