2014年01月21日

三年小成、十年大成

中国拳法に広く伝わる口伝である。
多少使えるようになるまで三年はかかり、
使いこなすには十年の修行が必要だ、ということを言っている。

仕事の世界でも、そこで経験がある、とか、
アシスタント卒業までには三年、
いっぱしになるには十年と言ったりもする。

僕の話にちょいちょい武術関係の話が出るのは、
それが肉体を介する話だからだ。(僕がカンフーオタクだからでもある)

脚本というものは行為であり、
書くというのは、頭でなく体で行うパフォーマンスに近い。


まあ、お話を書けるかな、と思うまで、
三年修行するべきだ。
僕は小学校の頃から漫画をかきはじめ、芝居の脚本を書き、
中学で映画をはじめ、大学で二本自主映画を撮った。
それでも、プロの世界の三年で学ぶことに比べればたいしたことはない。

十年本気でやれば、
僕が話す内容くらいは、人に話せるようになるだろう。
僕の脚本論は、僕が十年かけて考えてきたことでもあるのだ。

十年本気でやるということは、
何本も書くということだ。
実戦で傷つけられ続け、回復し続け、鍛え続けることだ。
一本につき何度もプロットを書き直し、
一本につき何度も脚本そのものを書き直すことだ。
(一番書き直したのは、43稿まである)
それを、何本も仕上げることだ。

僕は十年で7本の劇場用脚本を書き(そのうち一本は映画化された)、
9本のドラマ脚本を書いて映像化し、
あと数本映像化されていない脚本を書いている。
専業ではないから、本数としては少ない方だと思う。

最低でも、それぐらい書いて、ようやくいっぱしの物言いが出来るというものである。


なんの仕事でもいいが、少なくとも日本では、
三年は働かないと仕事の全貌が見渡せない。
凄くいいのだけ当たったり、底辺のだけに当たるのではなく、
バラエティー豊かに業界を見渡せる時間は三年ぐらいだ。
人脈という点でも、能力という点でも、業界のわたり方という点でも。
(逆に三年頑張って芽が出ないなら、才能を疑うべき。
当然だが、一定以下の才能は伸びないし、必要とはされない)

あなたが今仮に物凄い脚本を書いたとして、
即デビューしたとしても、
満足なプロになるには、
三年小成、十年大成の原則は変わらないと思う。


映画一本の脚本家のギャラは100万から300万程度だ。
ドラマは50万や15万もある。
勿論1000万取る人もいる。
(ヒットすれば、二次収入の1.75%バックはデカイ。
100万本レンタルの二次収入を計算してみよ)


三年の間に何本書くか、十年の間に何本書くか、
一生のうち何本書いて、何本映画化され、何本大ヒットするか、
それはあなたと、あなたと出会う人次第である。
posted by おおおかとしひこ at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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