「監督のやりたいことを実現しましょう」と言うスタッフは、
人がよいかも知れず、人として付き合うにはいいけども、
僕は心底信用はしない。
僕が信用する人は、
「これは面白い(或いは、とてもいい)からやりましょう」と言う人だ。
「やりたい事が、必ずしも面白い事とは限らない」
という当たり前の事実を見る冷静さが、あるかどうかだ。
あなたのやりたい事がようやく見つかった、
或いは形になろうとしているとする。
あなたは夢中でその実現に向け邁進したくなるのも分かる。
だが、それは冷静に見て、ほんとに面白い事だろうか。
当人だけが面白いと思っていて、
実は寒いということもある。
リアルタイムに観客の反応を見て変更出来ない、
映像作品においては、
面白いか面白くないかを判断する目は、
とくにシビアに持っている必要がある。
いつ何時でも、
かつてあった名作たちに比べて面白いのか、
今ある最先端に比べて面白いのか、
将来においてもこれは面白いのか、
どんな人が見ても面白いのか、
そのような目線で、客観的多面的批評的に、
今自分がやろうとしていることを、
冷静に正しく評価する必要がある。
のぼせ上がっている時は、
本人はそれは見えていない。
だから、王様は裸だ、とちゃんと言ってくれる人は大事だ。
その上で、個人的にやりたい事の実現にではなく、
面白いことの実現のために働く人のほうが、
人としての絆より、面白さの絆で繋がれる。
やりたい事ありきではじめたことは、
それ以上に出た面白いことを採用する度量がない。
やりたい事の方が大事で、面白いことが二の次になる。
あなたのやりたい事が、
客観的にマックス面白い事かどうかを、
あなたはフラットに見れるだろうか。
見れない、やりたい事だけやれればいい、
という人はアーティストに向いている。
そもそもこれは面白い事である、
まあまあ面白い事である、
平凡な面白さである、
と自分の作品をシビアに見れる人は、
大衆芸術に向いている。
あなたのやりたい事が、面白い事とは限らない、
と言われて、あなたがドキッとしたなら、
もう少し考えを深めたほうがよい。
2014年01月22日
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やはり、数週間くらい寝かすべきですか?