僕はCM業界では、編集はかなり上手いほうだと思う。
(普段から自分で編集する。エディターとして2004年ACC編集賞)
その極意をひとつ。
編集は、絵をつなぐものではない。
音の流れをつくるものだ。
音の要素は4つある。
台詞、SE(リアルな音と、嘘をつく音がある)、音楽、
そして無音(間)である。
音を繋ぐというのは、
厳密には、音のある所と無音の所をつくることだ。
音のある所とない所で、まずリズムをつくる。
台詞だってオンリップでなければ、いくらでも切り貼り可能だ。
そこで、緩急をつくる。
ノリノリの所と、考えさせる所をつくる。
夢中になる所と、魂を奪う瞬間をつくる。
展開、音のターニングポイントなどをつくる。
一言でいうなら、間をつくる。
映像は、時間軸を持つ芸術である。
リアルタイムに進む時間こそが、
映像を映像たらしめている本質だ。
流れとか、勢いとか、脚本の文字には書いていない、
しかし最も大事な手触りに直接関係する部分とは、
時間軸に関する要素だ。
それは、絵よりも音なのだ。
これは師匠の関口現、そのまた師匠の山内健司各氏から盗んだやり方だ。
まず音をフィックスする。なんなら、黒だけで、音編集を先にする。
(山内氏は、スタインベックのフィルム編集時代、
マグネットテープ、つまり台詞だけでまず15秒をつくり、
それにフィルムを合わせて合体させていたと言う。
同様に弊社出身の黒田秀樹氏は、元ドラマーだけに、リズムからつくる。
電通映画社、プロックスと継がれた、綿々と続く伝統のやり方かもだ。
僕のAVID編集の基本は、
まず同録つきのV1A12を繋ぎ、テイクや順番を検討する。
次にA34に偶数テイクの音を移植、音4トラックで同録の音編集をする。
A56はSE用、A78は音楽用に使うので、僕は最低音は8トラック使う。
それにV1をシンクさせる。
あとはV1のトリムで、編集点のベストを探って行く。
インサートなどはV2へ逃がし、常に音の元絵はたどれるようにしておく。
音ありきで、V1の別テイク差し替えなど考える。
つまり、音に絵が従属している構造だ)
「気持ちよさ」は、圧倒的に絵より音だ。
ストーリーものではないが、僕の最新作、大塚家具のCMが分かりやすい。
音を消して絵だけ見る場合と、目をつぶって音だけ聞く場合、
どちらがより心地よさを感じるか比較してみるとよい。
音のほうが、動物的本能に訴える情動がある。
ニュアンス、とは表情や身ぶりでコントロールするのではなく、
台詞の端々の声の調子のことだ。
物語を伝える主要素は、実は絵ではなく音だ。
台詞なしの物語より、絵なしの物語(ラジオドラマ)のほうが、
物語を伝えることが出来る。
両方の脚本を書いてみれば明らかだろう。
絵で繋ぐのは素人だ。
サイレント映画ぐらいの巾でしか物語を伝えられない。
が、インパクトは聴覚より視覚が勝る。
だからこそ、台詞でなく黙って行動のほうが、
表現としては強力だ。
だから、普段は音(台詞)で物語を語り、
いざというときに無言で芝居する(絵、行動)ことが、
最強のコンビネーションなのである。
音だけ、即ち台詞劇だけでは詰まらない。
絵だけ、即ちサイレントだけでは情報量が少ない。
会話の切り返しの編集で、
素人は、「台詞を言っている人のアップ」を切り返して繋ぐ。
プロはそんなことはしない。
文脈に応じて、「台詞を言っていない人のアップ」を使う。
音が同じでも、意味合いが違う。
物語は進行しながらも、別の人はそれぞれの事を考えていることが表現できる。
映画では、全員同じことを考えるのは、ラストだけで、
それまでは全員別の事を考えている(コンフリクト)。
切り返しのこの編集は、コンフリクトの基本表現のひとつである。
この場合でも、絵の繋ぎは、音の繋ぎに従属している。
素人のコンテや、企画法の見分け方を教えよう。
シチュエーションだけ先に考えるのは素人だ。
玄人は台詞から考える。
つまり、先に台本から書く。やり取りや、何が起こっているかを書く。
そのツカミや展開やオチに必要な場所をあとで考える。
シチュエーションが先に考えられたものは、
その後の台詞劇は、決してそのシチュエーション以上に面白くならない。
(出落ち)
編集は、音に絵を合わせることが極意である。
音のある所は、物語の進行部分だ。
その途中に何を見せるかでコンフリクトを表現する。
音のない所は、インパクトの部分だ。
映画は、無音のインパクトと有音の進行で出来ているのだ。
容易に想像出来るように、
無音部分がターニングポイントになりそうである。
「刑事ジョン・ブック/目撃者」は、
脚本の教科書では頻繁に取り上げられる名脚本だが、
その良くできた、インパクトある第一ターニングポイントは、
無音である。
(負傷したジョンが、一端女の家にかくまわれたものの、
彼女を巻き込む訳にはいかないと、よろよろと車で出て行く場面。
車はカーブを曲がる能力もなく、鳥小屋にぶつかり停止する。
たったワンカットの引き絵で、第一ターニングポイントを表現する。
これで、彼が出て行く体力がなく、彼女の家にかくまわれる生活が始まることが
示される。ACT 2は、彼女の村での生活である。
正確には無音ではなく鳥小屋の壊れる音があるけど、
それは無音のような、間で表現される)
映画は絵ではない。音だ。
脚本を見てみるがよい。
台詞とト書き、どちらが多いというのだろう。
圧倒的に台詞だ。
脚本とは、物語を8割方音で伝える方法なのである。
2014年01月25日
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