2014年01月25日

編集とは、音に絵を合わせること

僕はCM業界では、編集はかなり上手いほうだと思う。
(普段から自分で編集する。エディターとして2004年ACC編集賞)

その極意をひとつ。
編集は、絵をつなぐものではない。
音の流れをつくるものだ。

音の要素は4つある。
台詞、SE(リアルな音と、嘘をつく音がある)、音楽、
そして無音(間)である。

音を繋ぐというのは、
厳密には、音のある所と無音の所をつくることだ。

音のある所とない所で、まずリズムをつくる。
台詞だってオンリップでなければ、いくらでも切り貼り可能だ。
そこで、緩急をつくる。
ノリノリの所と、考えさせる所をつくる。
夢中になる所と、魂を奪う瞬間をつくる。
展開、音のターニングポイントなどをつくる。

一言でいうなら、間をつくる。


映像は、時間軸を持つ芸術である。
リアルタイムに進む時間こそが、
映像を映像たらしめている本質だ。
流れとか、勢いとか、脚本の文字には書いていない、
しかし最も大事な手触りに直接関係する部分とは、
時間軸に関する要素だ。
それは、絵よりも音なのだ。

これは師匠の関口現、そのまた師匠の山内健司各氏から盗んだやり方だ。
まず音をフィックスする。なんなら、黒だけで、音編集を先にする。
(山内氏は、スタインベックのフィルム編集時代、
マグネットテープ、つまり台詞だけでまず15秒をつくり、
それにフィルムを合わせて合体させていたと言う。
同様に弊社出身の黒田秀樹氏は、元ドラマーだけに、リズムからつくる。
電通映画社、プロックスと継がれた、綿々と続く伝統のやり方かもだ。
僕のAVID編集の基本は、
まず同録つきのV1A12を繋ぎ、テイクや順番を検討する。
次にA34に偶数テイクの音を移植、音4トラックで同録の音編集をする。
A56はSE用、A78は音楽用に使うので、僕は最低音は8トラック使う。
それにV1をシンクさせる。
あとはV1のトリムで、編集点のベストを探って行く。
インサートなどはV2へ逃がし、常に音の元絵はたどれるようにしておく。
音ありきで、V1の別テイク差し替えなど考える。
つまり、音に絵が従属している構造だ)


「気持ちよさ」は、圧倒的に絵より音だ。
ストーリーものではないが、僕の最新作、大塚家具のCMが分かりやすい。
音を消して絵だけ見る場合と、目をつぶって音だけ聞く場合、
どちらがより心地よさを感じるか比較してみるとよい。
音のほうが、動物的本能に訴える情動がある。
ニュアンス、とは表情や身ぶりでコントロールするのではなく、
台詞の端々の声の調子のことだ。


物語を伝える主要素は、実は絵ではなく音だ。
台詞なしの物語より、絵なしの物語(ラジオドラマ)のほうが、
物語を伝えることが出来る。
両方の脚本を書いてみれば明らかだろう。


絵で繋ぐのは素人だ。
サイレント映画ぐらいの巾でしか物語を伝えられない。
が、インパクトは聴覚より視覚が勝る。
だからこそ、台詞でなく黙って行動のほうが、
表現としては強力だ。

だから、普段は音(台詞)で物語を語り、
いざというときに無言で芝居する(絵、行動)ことが、
最強のコンビネーションなのである。

音だけ、即ち台詞劇だけでは詰まらない。
絵だけ、即ちサイレントだけでは情報量が少ない。



会話の切り返しの編集で、
素人は、「台詞を言っている人のアップ」を切り返して繋ぐ。
プロはそんなことはしない。
文脈に応じて、「台詞を言っていない人のアップ」を使う。
音が同じでも、意味合いが違う。
物語は進行しながらも、別の人はそれぞれの事を考えていることが表現できる。

映画では、全員同じことを考えるのは、ラストだけで、
それまでは全員別の事を考えている(コンフリクト)。
切り返しのこの編集は、コンフリクトの基本表現のひとつである。
この場合でも、絵の繋ぎは、音の繋ぎに従属している。


素人のコンテや、企画法の見分け方を教えよう。
シチュエーションだけ先に考えるのは素人だ。
玄人は台詞から考える。
つまり、先に台本から書く。やり取りや、何が起こっているかを書く。
そのツカミや展開やオチに必要な場所をあとで考える。
シチュエーションが先に考えられたものは、
その後の台詞劇は、決してそのシチュエーション以上に面白くならない。
(出落ち)


編集は、音に絵を合わせることが極意である。
音のある所は、物語の進行部分だ。
その途中に何を見せるかでコンフリクトを表現する。
音のない所は、インパクトの部分だ。

映画は、無音のインパクトと有音の進行で出来ているのだ。

容易に想像出来るように、
無音部分がターニングポイントになりそうである。
「刑事ジョン・ブック/目撃者」は、
脚本の教科書では頻繁に取り上げられる名脚本だが、
その良くできた、インパクトある第一ターニングポイントは、
無音である。
(負傷したジョンが、一端女の家にかくまわれたものの、
彼女を巻き込む訳にはいかないと、よろよろと車で出て行く場面。
車はカーブを曲がる能力もなく、鳥小屋にぶつかり停止する。
たったワンカットの引き絵で、第一ターニングポイントを表現する。
これで、彼が出て行く体力がなく、彼女の家にかくまわれる生活が始まることが
示される。ACT 2は、彼女の村での生活である。
正確には無音ではなく鳥小屋の壊れる音があるけど、
それは無音のような、間で表現される)


映画は絵ではない。音だ。
脚本を見てみるがよい。
台詞とト書き、どちらが多いというのだろう。
圧倒的に台詞だ。
脚本とは、物語を8割方音で伝える方法なのである。
posted by おおおかとしひこ at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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