2014年01月27日

そもそも脚本理論は必要なのか

行き詰まらずに書けるときには必要ないと、思う。

そもそも名作たりえる脚本というのは、
理論から生まれない。
名作脚本とは、
ある日突然、面白いことが浮かび、
取り憑かれたように書き、
勢いに任せたら完結して、
それが理論通りになっているものである。

そんな奇跡は、一生に数回しか起こらない。
(起こらない訳でもない。その奇跡は、必ずあなたの代表作になる。
僕の場合は、風魔の第一話だ)

自動的に脚本が書けないとき、
我々は理論にすがるのである。

全くダメな脚本を書く訳ではないから、
足りない所を理論的に足していくことになる。
感情移入の段取り、全体的な構成(長いとか短いとかも含めて)、
サブプロットの役割などの大きな部分から、
ちょっとしたどんでん返しや伏線などの、
小さなテクニック的な部分まで。

僕はたまに記事を読み返し、
今書いているのに何が足りないかを考える。
あるいは、過剰なのかも考える。
切るほうが足すより難しい。
理想に比べて、どこがどのようにいびつであるか考えると、
直す方向性が分かったりする。


また、一から書くのに、
脚本理論はあまり役に立たない。
車の運転を最初からスムーズに出来ないのと同じで、
脚本の執筆は、同時にいろんなことに気を配りながら書く必要がある。
慣れていないと、それは無意識下で処理できない。
(車の運転は、様々な注意事項を、意識下でチェックするところから始めて、
重要でないものは無意識下で処理できるようにすることだ。
凡そ体を使う行為は、そのように半自動化するのだ)

ある程度書けたとき、行き詰まったとき。
理論に立ち返り、理想型と現在の差を自覚し、
ありうべき方向に直していく。
そのとき、理論は理想型を示し、
試すべきアイデアを示唆するだろう。


僕はいくつかの理論書をたまに眺めては、
今書いているものを想定して、当てはめて考えてみる。
何も書いていないのに理論だけ読んだって、得るものはない。
(目から鱗は落ちるけど)
書く途中で、理論は役に立つときがある、
という程度で、皆さんの役に立つなら幸いだ。
posted by おおおかとしひこ at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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