話の面白さの醍醐味は、これにつきる。
次何が起きるのか、あれはどうなるのか、
どうまとめるつもりなのか、
あれがもう一回使われるんだろうけど、どうするつもりか、
この気持ちに気づいてしまったが言うべきなのか、
などの、
「どっちに向かうか分からない面白さ」が、
話の面白さではないか。
「どっちに向かうか分からなくて、面白くない」
のと真逆であることに注意せよ。
これは、話の焦点が失われたことを言う。
話に焦点がなく、どっちへ行けばいいか見失うのは、
脚本執筆には最もポピュラーな行き詰まりだ。
面白い話は、その逆で、
「興味深い焦点(火急にしなければならない心配事)が
複数あり、それがどう絡んでいくか、想像するだけで面白い」
ことを言う。
「はやくその先を知りたい」のは、
そのような状況のときだ。
(風魔の小次郎で言えば、壬生の裏切り後の展開。
黄金剣、風林火山、陽炎などのオリジナル展開である)
焦点がひとつなのは、映画としては単純すぎる話だ。
非常に強いテーマなら、
例えば「生きて帰れるのか?」などのひとつの焦点で引っ張ることはできる。
しかし、ひとつの焦点で進行する話は、現代映画としては無邪気にすぎる。
(最後の一点に絞られるのが第二ターニングポイントだ)
焦点は、大抵複数ある。
複数の人物(団体含む)の間で、微妙な駆け引きや拮抗があり、
どれかのバランスが崩れたら、
ドミノ倒し的に全てに影響がある状況をつくっておく。
そこで、どこかの均衡が崩れる。
崩れたところから、駆け引きの綻びが出てきて、
複数の人物が、それぞれ動かざるを得なくなる。
そしてその結果、
「この話がどこへ行こうとしているのか、
どう進行しているのか、
次に○○が起こったらどうしよう」
という宙ぶらりん(サスベンド)を呼ぶ。
焦点の優先順位も、時に応じて変わる。
○○をすべきだったことが落ち着いて、今度は△△の方をしなければ、
などだ。(ターニングポイントによる焦点の変更)
あることが起きて、次にどうなるのか?
という楽しみは、
この拮抗は、どちらへ行くのか?
という楽しみでもある。
それは、常に不安定だ。
だから面白い。
誰かと話しているとき、
これをどう落とそうかと思いながら話を続けているときがある。
そんな感覚だ。
落ちへ向かう前に、もう1エピソード挟んでもいいかな、と思ったり、
どっちへ向かってもいいけど(話を転がしているという感覚)、
出口を見つけたら、その勢いは一方向になり、落ちへと殺到する。
(出口が見えた瞬間が第二ターニングポイントで、その後がクライマックスで、
落ちがラストシーンに相当)
出口が見える前の、
「話がどう転ぶか分からない面白さ」を
何分間維持できるかが、ストーリーテラーの腕である。
リアルなおしゃべりだと3分ぐらいか。
5分その状態を維持できるのは、話上手、話の面白い人だ。
7、8分いけたら、プロ級だ。
映画では、60分だ。(ACT 2まるまる一杯)
アドリブで書いて、60分その面白さを維持できるなら、
脚本など書く必要はない。ボイスレコーダーに録音すればよい。
それが難しいからこそ、
我々は色々な武器を使い、何度も何度も書き直すのだ。
その為に、いくつかのコツや、理論があるのだ。
さあ、この話はどちらへ向かうのか。
それを考えるのは、面白くワクワクすることでもあり、
恐怖でもある。
それは、人生に似ている。
恐怖に打ち勝ち、ワクワクの果実を得て、
話を60分間上手く転がし続けられた者が、
出口と言う勝利を手にするのだ。
2014年02月01日
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