2014年02月01日

話の面白さは、どっちに向かうか分からない面白さ

話の面白さの醍醐味は、これにつきる。

次何が起きるのか、あれはどうなるのか、
どうまとめるつもりなのか、
あれがもう一回使われるんだろうけど、どうするつもりか、
この気持ちに気づいてしまったが言うべきなのか、
などの、
「どっちに向かうか分からない面白さ」が、
話の面白さではないか。

「どっちに向かうか分からなくて、面白くない」
のと真逆であることに注意せよ。
これは、話の焦点が失われたことを言う。
話に焦点がなく、どっちへ行けばいいか見失うのは、
脚本執筆には最もポピュラーな行き詰まりだ。

面白い話は、その逆で、
「興味深い焦点(火急にしなければならない心配事)が
複数あり、それがどう絡んでいくか、想像するだけで面白い」
ことを言う。
「はやくその先を知りたい」のは、
そのような状況のときだ。
(風魔の小次郎で言えば、壬生の裏切り後の展開。
黄金剣、風林火山、陽炎などのオリジナル展開である)


焦点がひとつなのは、映画としては単純すぎる話だ。
非常に強いテーマなら、
例えば「生きて帰れるのか?」などのひとつの焦点で引っ張ることはできる。
しかし、ひとつの焦点で進行する話は、現代映画としては無邪気にすぎる。
(最後の一点に絞られるのが第二ターニングポイントだ)

焦点は、大抵複数ある。
複数の人物(団体含む)の間で、微妙な駆け引きや拮抗があり、
どれかのバランスが崩れたら、
ドミノ倒し的に全てに影響がある状況をつくっておく。
そこで、どこかの均衡が崩れる。
崩れたところから、駆け引きの綻びが出てきて、
複数の人物が、それぞれ動かざるを得なくなる。
そしてその結果、
「この話がどこへ行こうとしているのか、
どう進行しているのか、
次に○○が起こったらどうしよう」
という宙ぶらりん(サスベンド)を呼ぶ。
焦点の優先順位も、時に応じて変わる。
○○をすべきだったことが落ち着いて、今度は△△の方をしなければ、
などだ。(ターニングポイントによる焦点の変更)

あることが起きて、次にどうなるのか?
という楽しみは、
この拮抗は、どちらへ行くのか?
という楽しみでもある。

それは、常に不安定だ。
だから面白い。


誰かと話しているとき、
これをどう落とそうかと思いながら話を続けているときがある。
そんな感覚だ。

落ちへ向かう前に、もう1エピソード挟んでもいいかな、と思ったり、
どっちへ向かってもいいけど(話を転がしているという感覚)、
出口を見つけたら、その勢いは一方向になり、落ちへと殺到する。
(出口が見えた瞬間が第二ターニングポイントで、その後がクライマックスで、
落ちがラストシーンに相当)

出口が見える前の、
「話がどう転ぶか分からない面白さ」を
何分間維持できるかが、ストーリーテラーの腕である。
リアルなおしゃべりだと3分ぐらいか。
5分その状態を維持できるのは、話上手、話の面白い人だ。
7、8分いけたら、プロ級だ。
映画では、60分だ。(ACT 2まるまる一杯)

アドリブで書いて、60分その面白さを維持できるなら、
脚本など書く必要はない。ボイスレコーダーに録音すればよい。
それが難しいからこそ、
我々は色々な武器を使い、何度も何度も書き直すのだ。
その為に、いくつかのコツや、理論があるのだ。


さあ、この話はどちらへ向かうのか。
それを考えるのは、面白くワクワクすることでもあり、
恐怖でもある。
それは、人生に似ている。
恐怖に打ち勝ち、ワクワクの果実を得て、
話を60分間上手く転がし続けられた者が、
出口と言う勝利を手にするのだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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