省略が上手いかどうか、につきる気がする。
下手な説明を想像すれば分かる。
情報量が多すぎて把握出来ないか、
短すぎて世界を把握出来ないかだ。
上手い説明は、短い文で本質をとらえ、
残りは一を聞いて十を知るように分かるようになっている。
表現の下手な人は、
相手に察する能力や、想像する能力や、予測する能力が全くないと考える。
だから、一から十まで全部を表現しないと不安である。
逆に、一回言ったことは、100%相手は理解し、
誤解や忘却なく、一字一句記憶していると誤解している。
僕らが観客や読者なら当たり前のことを、すっかり忘れている。
上手い省略の裏を読んだり、フレームの外を想像したりして楽しんだことがないのだろうか。
情報が足りないからこそ、想像を逆に膨らませて、気持ちよくそれを裏切られた経験がないのだろうか。
台詞の一字一句ではなく、概ねの意味しか覚えていない、
それどころか、大体の流れしか覚えていない、という経験をしていないのか。
詰まらない所は記憶に残らず、強烈な所しか記憶にない、という経験をしていないのか。
恐らく、どれも経験がないのだ。
ないから、観客が分からないのだ。
だから、一字一句正確に言おうとしないと不安なのだ。
人は揚げ足なんて取らない。
詰まらなければ無視して記憶には残さないだけである。
一字一句正確に表現したからと言って、
御触れではないのだから、正確に覚えてくれるはずはない。
大体の流れを覚えてくれれば、それで十分だ。
自分の話が、どれだけ人に覚えてもらっていないか、
確認したことはあるだろうか。
伝言ゲームを見れば分かる。
ダビングのダビングは、もう原型を留めていない。
だから正確に言う、は間違いだ。
概ね合ってればいい、と考えることのほうが現実的だ。
とすれば、いかに楽しませるかのほうが大事だ。
表現は記憶されないのだから、
せめて楽しんだ記憶を残すのだ。
あの作品は、感動したことや爆笑したことは覚えているけど、
何がテーマだっけ、というのが、
全ての映画の宿命であると、覚悟したほうがいい。
その中の100人に一人、もしかしたらそれ以下の人が、
そのテーマについて、その後も覚えて、考えてくれるかも知れない、
という程度だ。
だから、表現は、正確にやっても無駄であり、
一字一句正確に並べることではないのだ。
上手い省略を使える、表現上級者は、
省略を上手く使って、表現内容を一枚の絵や、
ひとつの印象にする。
そのなんとなくの印象が、見た人の記憶に残る。
観客は多くのことを一度に覚えられない。
ひとつしか覚えられない。
覚えられることは、ぼんやりとした印象のレベルであり、
一字一句の台詞ではない。
もしあなたが、
表現されたものを、正確に観客がいつまでも覚えていると思いこんでいるとしたら、
あなたはこの仕事を長くやるべきではない。
表現の下手である。
どう上手く省略を使おうか、いつも考えているなら、
表現のプロに向いている。
2014年02月06日
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