2014年02月11日

映画のプロットとは何か

プロットはペラ何枚で書けばよいか、という疑問はよく出る。
適切なプロットの枚数は、ない。
そのプロットを誰がどう判断するか、どれくらいの判断時間があるか、
によって適切な分量は異なるからだ。

そもそも、書く前に全体像を把握するものか、
書いたあとに全体像を把握するものか。

プロデューサーが複数の候補の中からざっと見るときは、
ペラ一枚以内だろうし、
新聞記事に必要ならその1/3から1、2行だろう。
監督が考えるプロットを脚本家が書くとき、
あるいは自分が書く脚本の、自分用の覚え書きのとき、
それは10枚ぐらいにこと細かく書いてあるかも知れない。

プロットとは何か。何を押さえればプロットになるか。
その議論をしよう。


最低限必要なこと:
ジャンルが分かること。
見せ場は何か。

次に必要なこと:
主人公、相手役など、映画の魅力的な部分。
テーマがどういう方面か読み取れるもの。

更に詳しく:
主人公がどんな人間か、感情移入する要素。
陥ったシチュエーション、主な目的やセンタークエスチョン。
その他、ウリになる要素。
舞台装置、世界観、どんでん返しやリアリズムなどの仕掛け、
CGや特殊なことによる魅力。

以上のものは、恐らく書き終えたものにまつわるプロットだ。
恐らく、書く前には、ここまで詳細に描像が見えている訳ではない。
書く前にこういうハッタリをすることもあるし、
最終目標のあるべき姿を想像するときにも役に立つ。
(こういう方向性のものが良くて、こういうのはダメだ、
というイメージは、仕事にかかる前に、なるべく複数の人と話して客観性を持つとよい)

では、書く前に考えるプロットとは、どのようなものだろう。
何を準備すれば、あとは書くだけ、になるのだろう。



・主人公の最初の状況:
内的動機、初期設定。方向性を持たないモヤモヤ。
・異物との出会いによって最初に生じた目的(焦点):
その異物の面白さ、陥ったシチュエーションの面白さ、
それと内的動機の関係、最初の外的動機。
一端方向性を持てば、ここから流れるように書く。

・主人公の周囲の状況:
特に二幕以降重要になる要素について。
或いは主人公自身の魅力の一端が、行動によって伝わること。
或いは、映画全体でのメインコンフリクトについて書いてもよい。
(メインコンフリクトが明らかになるのは、これ以降の可能性もある)
・第一ターニングポイントの面白さ:
いかにして主人公が、これから90分ほどの冒険に出掛けるのか、
面白いターニングポイントを書く。
センタークエスチョンが提示され、この映画での大目的が定義される。
それは、内的動機の実現を含んでいる。

・二幕に起こる面白いこと:
お楽しみポイントだ。二幕の描写は、一幕ほどに書き込まなくてよい。
サブプロットも重要なら、ここで書いておくべきだ。
コンフリクトはより複雑になり、事態は益々ややこしくなる。
いくつかの障害を越えても、さらに問題は出てくる。
ミッドポイントで起こることを書いてもよい。
広げた風呂敷は、ここからまとまってゆく。
起こるイベント、どんでん返し、サブプロットが効いてくるなど、
色んなことを盛ってゆく。
・第二ターニングポイント:
色々なことが、一点になる。あとは何をクリアすれば解決か。
再びセンタークエスチョンが更新される。

・三幕のクライマックス:
一番の見せ場だ。どんな映画的面白いことが起こるのか。
直接対決、大立ち回り、緊張の一瞬、などなど。
ビジュアルイメージがあってもよい。
・決着のカタルシス:
カタルシスを、プロットを読んでいても得られるように書こう。
どんな解決の瞬間が、最も描きたいのか、ここできちんと書こう。
・ラストシーン:
テーマが分かるように書く。
テーマそのものを書いても構わないが、主人公の成長やこれまでの話から、
それが察せられるように書ければ、それはそのまま使える。



これらを、ペラ4枚で、という人もいる。
僕は何枚でもよいと思う。
台詞は書かないという人もいるし、僕はキャラクター性を書くために、
重要な台詞を書いたりする。
ラストに込められた一言、なんてのは、大抵最後まで変わらないものだ。

プロットは脚本そのものではないから、
何故そうなるのかを解説したり、
それぞれの目的を羅列しても構わない。
ストーリー進行の上で、
何故そうなるのか分からなかったり、展開が不明だったりするのはダメだ。
具体的にどう書くかはおいといて、
プロットでは、何故そうなるのかの理由を明示する。


行動のリストと思ってもよい。
行動には理由がある。そのリストでもある。
行動にはリアクション(とその理由)がある。
そのリストでもある。
その連鎖には理由がある。そのリストでもある。
誰にどんな意図や目的があり、どんな行動を起こし、
その顛末が、複数の意図を持つ各人物によってどのように動き、
どう終息し、次にどう火種が残って次に何が起こるか、
その連鎖のリストでもある。


プロットを、あらすじと解釈してはならない。
書き手にとってのプロットとは、
これらの登場人物たちの行動計画である。(計画、というのがplotの元の意味だ)
それらの目的や理由や動機が、行動計画に付与されるのだ。
「物語とは動きである」で示した行動表は、これを文章でなく、
一枚の図として把握する方法であった。
これを、図ではなく、具体的な文章で、頭から尻まで書いたものが、
映画の(書き手にとっての)プロットである。

行動に漏れがなく、理由も矛盾なく、
流れが無理なく自然なものだけが、
書き手にとっての完全なプロットだ。

この時点で無理や矛盾があるなら、お話は破綻する。


人物の特有の性格や細かい台詞、詳しい舞台装置や小道具などは、
プロットの時点では決まっていない。
それは、プロットが固まった次にすることだ。
(同時進行でもある。人物の性格が行動を決めることもある。
しかし、それはプロットよりあとに書くことである)
細かい言い回し、表情、複雑な感情、巧みな表現は、
もっとあとにすることである。

骨、内臓、皮、服の順番でつくる。
実際は同時進行なのだが、この順でつくらないと必ずヨレる。
どこかで逆順につくったものは、
順につくったものより、確実にだめな映画になる。


映画には大事なものがみっつある。
ストーリー、ストーリー、ストーリーだ(ハリウッドの格言)。
そして、ストーリーの正体はプロットだ。
プロットとは、行動と理由の連鎖のことなのだ。
posted by おおおかとしひこ at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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